絵堂 鞍掛山(えどう くらかけやま)山口県美祢市美東町

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2013年5月25日

登山口 →0:30→ 山頂 →0:25→ 登山口

全歩行時間 0時間55分

登山行程図(地図をクリックすると拡大)

 山口県美祢市の山歩きを続けている。美祢市秋芳町の岡山の登山口である美祢市秋芳体育館を出発。次は大田絵堂の鞍掛山へ向かう。登山口へ向かう起点を美東町大田の道の駅「みとう」とすれば、道の駅から県道32号を萩・長門方面へ向かって北上する。途中の峠「呑水峠」には、明治維新発祥の戦、大田・絵堂戦役、呑水峠の激戦地の案内が立っている。

大田交差点を北へ進む 大田・絵堂戦役の案内(写真をクリックで解説)

 峠に置かれた案内を眺め、もう少し北へ進むと、長登銅山入口のバス停へ着く。この先の信号のある交差点を左折し、日本最古の銅山跡「長登鉱山跡」方面へ進む。すぐに鉱山跡への分岐を左に過ごし、更に北へ進むとY字分岐へ着くので、絵堂の案内に従い右道を採る。

「長登鉱山跡」方面へ左折 分岐は右道を採る

 やがて高規格道路の小郡萩道路が右に見えてくる。ここで「絵堂2km」の案内が見えてくると、この地点から約400m先の左側に作業道が分岐する。この少し先に広い場所があるので車を置いておく。このあたりが「下の峠」で、もう少し北側に移動すると、お地蔵様が祀られており、この左側が赤間関街道の主要街道の中筋道である。

小郡萩道路が右に見える 鞍掛山登山口

 足下には「右せき 左大田」の道標が残っている。このコースは、萩唐樋札場を起点に明木までは萩往還と重複し、明木堂尾一里塚から分岐して雲雀峠を越え、絵堂・秋吉・河原・四郎ヶ原の各宿場を経て、吉田で山陽道と合流し、赤間関に至る約19里(80.8km)の行程である。

赤間関街道(写真をクリックで道標を表示) 草の被る赤間関街道

 この内、雲雀峠から秋吉広谷(秋芳洞)までの約12kmが、平成8年に全国歴史の道百選に選定されている。地蔵峠にや下ノ峠・栃ヶ峠は旧道をよく残し、大久保台には一里塚跡・石畳・街道松切株跡・籠建場跡などを見ることができる。その昔、日本地図を作製した伊能忠敬がこの道を踏査し、幕末の思想家吉田松陰をはじめ、久坂玄瑞や高杉晋作・伊藤博文・山県有朋などの志士達が往来した道であると案内されている。

作業道に入る 権現山

 さて、峠のお地蔵様へ参拝し、鞍掛山へ向かって作業道に入る。すぐに赤間関街道を横切り、右に貯水施設を過ごす。作業道は最初こそ未舗装だがすぐに舗装された道に変わり、とても歩きやすくなっている。何も心配のない作業道を進んでいると、右には絵堂の権現山がそびえている。いずれこの山にも登る予定である。

伐採地を過ごす 黄色の花

 左に伐採地を過ごし、少し進むと黄色い花を見る。この黄色の花は、もう少し先にも咲いており、カキツバタのような花も見ることができる。間もなく作業道は右へ進路を変え、植林帯を眺めながら緩やかな作業道歩きが続く。

カキツバタのような花 進路は右方向へ変わる

 やがて進路は左方向へ変わり、周囲に石灰岩が増えてくる。道なりに作業道を進むと、今度は左側に残土処理場のような場所を過ごす。正面を眺めるとようやく山頂に建つアンテナが見えてきた。山側に石灰岩を眺めながら進んでいると、頭上を自然林が覆う。

石灰岩 正面にアンテナか見える

 涼しい風を感じながらもう少し進むと、右に最初のアンテナを過ごす。これはNTTドコモのアンテナである。更に進むと向かいに絵堂の権現山が見え始めたが、これは木の間越しの展望である。山頂下でぐるりと輪を描きながら進むと、右にアンテナを過ごし、一段高い場所へ登れば、この地点が鞍掛山の山頂である。

最初のアンテナ 権現山
山頂のアンテナ施設 四等三角点

鞍掛山の山頂風景

 アンテナの建つ山頂の奥には四等三角点が置かれており、周囲の展望を確認するが、木々の背が高くほとんど見えない状況である。KRY・TYS・YABの美東赤郷テレビ中継所の置かれた山頂に座りこみ、小休止を摂った後、山頂を出発する。下山はあっという間で、すぐに作業道の入口まで帰り着いた。

赤間関街道

権現山

鞍掛山山頂

 前の山 秋芳岡山 を見る

 次の山 大田 中山 を見る

歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 山口県美祢市美東町 絵堂鞍掛山 登山口付近のMAP

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