兄弟山 (おとどいやま) 山口県山口市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006年4月9日(日曜日) ガイド本 金光康資著 防長山野へのいざない 登山開始 →15:00→ 山頂到着 →15:41→ 山頂出発 →16:01 → 下山終了 17:12 参考コースタイム 登山開始 →0:25→ たらちねの滝到着 →0:16→ 兄弟山到着 →0:20→ 兄弟山出発 →0:12→ 弟山到着 →0:29→ 朝倉八幡宮到着→0:16→ 朝倉八幡宮出発 →0:14→ 下山終了 登山時間 2:12 山口バイパスを小郡方面から県庁に向かう途中、糸米地区に設置してある「鴻ノ峰の創造の森」への案内標識を目印に国道の左手に建っている「メガネの三城」の先を左折し、少し西方面に戻り右折すると正面に木戸神社を見る。
木戸神社の駐車場入口の看板には 「文武両道の神(智・徳・体育に秀でた人) 木戸神社」 祭神 木戸孝允(旧名・桂小五郎) と書かれてある。 この木戸神社を兄弟山の登山口とし、駐車場に車を置いてまずは木戸神社に参拝し、登山の無事を祈願する。この神社は維新の志士、明治の元勲木戸孝允公を祀っており、公は桂小五郎時代に、この地糸米に妻幾松と暮らしていたことがあったそうだ。木戸神社の由緒については後ほど説明することにする。 この木戸公園は山口市でも有名な桜の名所であり、昨日もテレビで放映されていたので本日山歩きの後、最後にお花見登山をしようと意気込んできたのだ。折しも本日は桜の花が満開であり、神社の横の広場には花見客が沢山集まっており、とても賑やかだ。
神社を出発し、舗装路をゆっくりと北に向かって出発する。糸米川に沿って上流に向かい、橋を渡ると右手に小さな滝を見る。少し進むと左手には木戸公園案内図が掲示されており現在梅里地区にいるようだ。これから糸米川沿いに進んで行き、もみじ園を左手に見て、せせらぎ広場地区を経由し、お花見広場に向かう道順を確認して再び出発する。 左手には弟山が聳えており、山腹にはソメイヨシノ・山桜・コブシ等の花が咲き乱れており、おいでおいでと呼んでいるようだ。間もなく右手に鴻の峰創造の森への分岐を過ぎ、更に3分でお花見広場に到着、広場では沢山の家族連れが思い思いの格好でお花見を楽しんでおり、本当に桜が綺麗だ。
今日はお花見登山を堪能するのだと言い聞かせてゆっくりと桜を見ながら進んで行く。そのまま舗装路を進んで行くと正面に岩戸山を見て突き当たりとなり、道は右と左に分岐、右に行けば高嶺城跡2km、左に行けば森林公園400m、おとどい山リフレッシュロードとなり、この分岐を左に向かう。 左右には桜が満開に咲いているので桜の通り抜けを楽しみ、間もなくアスファルト舗装路がコンクリート道に替わると道は緩やかに左方向へカーブする。正面にはたらちねの滝の石碑が立っており、石碑の右手にあるたらちねの細い滝を静かに鑑賞し、一息ついて緩やかな坂を登って行く。
花見客の車が行き来するので気を付けながら進んで行くと、いこいの広場に着いた。この広場でも桜が満開で、またまた足を止めて鑑賞する。この先には綺麗なしだれ桜も咲いておりいつまで見ていても見飽きない景色が広がっている。
しばらく桜を眺めた後、いこいの広場を登って行くと、岩戸山と桜のコントラストが素晴らしい。いつまで経っても前に進まないが、桜を眺めていると自然にウキウキしてくる。ようやく舗装路に到着、見晴らしの丘の標識に従い兄弟山に向かって行く。 正面を見てびっくり、すごい斜面に階段が設置してあり、手摺りまで設置してある。見るからに手強そうな階段に取り付いてみる。これは急斜面の尾根道のトレーニングに丁度良いみたいだ。足を大きく上げて一歩一歩高度を上げて行く。なかなか坂がきつくて息が切れる。ん!・ん!・ん!、これは運動不足だ、そういえば昨年の暮れ頃よりなんだかんだと理由をつけて日々のウオーキングを休止している。日々のトレーニングの重要性をこんなところで痛感した。
膝に負担が掛からないように手摺りをしっかりと掴み、腕の力で登るようにする。少し疲れたら向かいの鴻ノ峰を見る。車道に沿って桜が綺麗だ。これぞ花見登山の醍醐味だ、少し疲れると桜が応援してくれる。ゆっくり登っていても汗が出るがとても気持ちの良い汗をかいている気がする。 風がとても心地よく、満開の桜の中を歩いているのがとても嬉しい。登ってきた斜面を振り返るとよくぞこんな斜面を登ってきたものだと感心する。見晴らしの丘の標識から登ること8分で兄弟山山頂257mに到着した。
山頂にはケルン状の山頂標識が立っており、その横(南)には祠、祠の手前(西)には鳥居、鳥居の右手には手水鉢が置かれている。山頂標識の後ろ(東)には薮椿の赤い花が綺麗に咲いており、見るもの全てが美しい。
祠から少し南に下ったところには大きな方位板が埋めてあり、向いた角度が判るようになっている。兄弟山からは東に鴻ノ峰が近く、しっかりと全景を確認することができる。逆に鴻ノ峰から兄弟山方面は木の間越しの展望だったと記憶している。兄弟山の山頂からは木の間越しに西の朝倉地区を見ることができるが本日は墨絵の世界だ。
また、南方向の山口中央方面も墨絵のように霞んでおり、まるで中国(と言っても深川・広州しか知らないが)に居るような感じがする。さて、兄弟山から弟山に向かって縦走を開始するが下りの階段道がまたまた素晴らしいトレーニング場所となっている。急な斜面を滑らないように、膝に負担を与えないようにゆっくりと下りて行く。階段の段差がまずまずあるのでストックを使ったり、階段を手で掴みながら体重を分散させる。
一旦鞍部まで下りると「あせかきコース」の標識があるが、再び弟山に向かってのトレーニングコースに取り付く。急な斜面を滑らないように慎重に高度を上げて行き背後を振り返ると兄弟山が美しい。先程兄山から下るときには弟山の展望が望めなかったが、弟から兄はよく見えるようだ。やはり兄は弟の手本になるためにいつも見られていると言うことだろうか。
少し疲れると綺麗な山容の兄弟山を見ながら踏ん張って進み、兄弟山から12分で弟山山頂に到着した。ただし、山頂と言っても平坦道の途中の岩付近に標識があるだけである。弟山山頂からは周囲の展望が望めないので早々に下山を開始する。 弟山から少し降りると素晴らしい墨絵の展望地 やはり急な斜面を慎重に下りていると弟山から4分で伐採地に到着、南方面が一望の展望地である。正面南方向に障子岳を見て左に山口中央から白石地区の展望、右手には湯田温泉の展望が広がっている。遠く姫山から奥は墨絵状態で幻想的な景色が広がっている。
南西方向の湯田温泉駅付近にはもうもうと白い煙が上がっている。いったい何だろうか‥‥。展望地から少し下りると東屋の建つ広場となり、分岐を右に取り舗装路と出会い、西に向かって下りて行く。そのま道なりに下りて行くと間もなく朝倉八幡宮に到着、綺麗な桜の花見が始まる。 美しい朝倉八幡宮の桜 折しもこの八幡宮には御輿が運ばれてきており、丁度お堂に納められているところだった。今日は祭りでもあったのだろうか。右手の神社に参拝して納得、鳥居に湯田温泉神社の額が掛けられており、奥には温泉神社が立っている。今日は湯田温泉祭りが開催されたらしい。 当地、朝倉神社は貞観元年(859)に宇佐八幡宮から勧請したと伝えられる古社であり、幕末山口に落ちのびてきた三条実美ら七卿は湯田に滞在中、尊皇攘夷の祈願のために、度々この社に参拝したと言われており、そのとき詠じた和歌が境内の石碑に彫られている。 この朝倉八幡宮にはソメイヨシノがきれいに咲いているのだが、この歌碑の後ろに咲いている桜は珍しい「虎の尾桜」である。丁度花からしっぽが出ているような形状なので虎の尾桜と言う説もあるようだ。花の名前は聞いたことがあったのだが実際に観るのは始めてでとても感激した。 虎の尾桜 御輿を納めている方からこの花のことを教えて頂き、ようやく念願の虎の尾桜と対面することができた。最後にとても珍しい花を観賞できたので幸せな気持ちのまま、朝倉八幡宮を出発した。 バイパスの横を通り、メガネの三城の横を抜けて木戸神社に到着、無事一周回りのハイキングを終了した。 なお、木戸神社の由緒については木戸公恩徳碑に詳細が記載されているが、その概略は以下の通りである。 木戸神社は木戸孝允(桂小五郎)を祭った社です。孝允は萩に生まれ、幕末には京都や江戸で国事に活躍したのですが、常に藩論を指導し倒幕の策を練り、薩長連合を図って明治新政府樹立の大きな力となりました。 のちに内閣顧問を始め多くの要職について内外の政務に参与しましたが、明治10年に京都において病没(享年45歳)しました。 孝允は死を前に、この地にあった本宅山林などを地区民に与えて子弟育英の資とするように言い残しました。人々は大変感謝し、社を建てて孝允の霊を祭りました。 木戸公恩徳碑 前の山 面貌山・神田山 を見る 次の山 春日山 を見る 登山口周辺の地図はこちら 山口市 兄弟山 登山口付近のMAP |