熊山(くまやま)岡山県赤磐市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009年8月30日 吉井川横駐車場 →0:35→ 一本松 →0:15→ 林道出合 →0:20→ 五合目展望台→0:20→ 赤松峠 →0:20→ 竜神二つ井戸 →0:05→ 熊山神社 →0:07→ 熊山遺跡 →0:08→駐車場 →0:20→ 防火林道分岐 →0:15→ 休憩舎の展望台 →0:30→ 林道鬼ヶ城線終点 →0:35→ JR伊部駅 全歩行時間 3時間50分 熊山へは山陽自動車道の山陽インターを起点とする。インター先の県道37号を右折、少し南へ進み瀬戸橋交差点を左折、県道96号に入る。暫く県道を東へ道なりに進み、松木交差点を右折、県道79号に入りJR熊山駅へ向かう。 吉井川に架かる熊山橋を渡って右折し、左下に見えてくる広い駐車場に車を置く。駐車場横には熊山遺跡とハイキングコースの案内が立ち、とても分かり易い登山口である。登山準備の後駐車場を出発、案内に従ってまずは西へ進む。
駐車場から少し下り、山陽本線のガードを潜り反対側に抜ける。出た場所は変則四差路、右手の角に「森林浴のメッカ熊山登山口」と大きな案内板に表示されており、その下には誰でも使えるように登山杖が沢山置かれていた。
そのまま交差点を直進、緩やかな坂道を進めば、舗装路は緩やかに右へカーブし、南へと進む。進行方向に見えてくる民家の前に向かえば、舗装路が切れて未舗装道に入る。この付近には熊山登山道の標識が案内されているので間違えることはなさそうだ。
未舗装道を更に進めばコンクリートの道が続き、「登山道が荒れているので気をつけるように」と注意されている。また、熊山山頂まで所要時間90分と書かれており、大して時間は掛からないような印象を受けた。間もなく熊山路裏参道の木製案内板が現れた。これから先、この案内に勇気づけられそうだ。この案内板には石畳・一本松・蹄岩・かえる岩・東屋・赤松峠・二ツ池・熊山神社・大杉・熊山遺跡・展望台とこれから遭遇するチェックポイントが書かれている。
右手の石の階段上に小さな祠を過ごし、更にコンクリートの道が終わればこの先から登山道が始まる。右手に沢を見ながら石畳の美しい道を進む。最初から苔むした感じの良い場所が続いている。早速石畳の案内があり、「石の小径 趣は昔のまんま」と書かれていた。感じの良い石畳の続く登山道を歩いていれば、レトロな感じがなかなか気持ちよい。 石畳の続く登山道 石畳の道が終われば今度は石の階段道が現れる。古い熊山登山道の標識を眺めながら少し荒れ加減の石段を進む。登山道の左右には笹が広がり、苔むした石の階段を登れば周囲には自然林の緑が映えて美しい。
更に苔むした登山道の雰囲気を味わいながら石段を登れば「一本松 むかし昔デカイ松があったそうな」の案内の設置された尾根に着いた。ここまで登山口からの所要時間35分、この場所がガイドに記載してある赤松峠のような気がする。尾根に着いたと同時に進行方向は少し東へ向き、緩やかな坂の尾根道を進む。 一本松 途中には石段状の場所もあり、なかなか変化に富んだ登山道が続いている。南へは熊山の山頂らしき山容が広がり、いよいよ目指す山を確認することが出来た。周囲には赤松が多く、赤松峠と言われる所以だろう。快適な登山道を進めば左に本四連係線の巡視路を過ごし、熊山登山道の案内に安心して歩くことが出来る。
左右に自然林が茂り、展望は無いものの明るい登山道なので道に迷う心配はない。突然広場に出たかと思うと、ここにはベンチが整備されており、この先に舗装林道が現れた。林道を右へ進めばすぐに登山道に入る。
目の前には整備された擬木の階段が現れ、カラカラに乾いた登山道を登り始める。すぐに左右の分岐が現れるが、どちらの道を通ってもいずれ合流するというので右の道を採ることにした。左右にシダの茂るアクセントある登山道を進めば、南に緑に覆われた熊山の山頂の一部が見えてきた。
登山道が左に向けば、間もなく先程別れた道と合流、すぐ先で鉄塔の下を通過する。もう少し進めば「蹄岩」、1336年児島高徳の愛馬が岩肌に刻んだ蹄跡とも・・・と案内されていた。 児島高徳とは、鎌倉時代末期の備前出身の武士で、後醍醐天皇が隠岐へ流される途中、天皇を奪回するため、その後を追ったが果たせず、せめて志だけでも伝えようと、天皇の宿所に忍び込み、庭の桜樹の幹を削って中国越王勾践 [えつおうこうせん]の故事に因んだ十字の詩を書いたと伝えられている。 蹄岩 蹄岩を過ごしいかにも滑りそうな登山道を進めば、擬木の階段が現れる。この擬木の階段を登れば間もなく五合目の展望台に到着した。熊山駅から2200m、山頂の展望台までは2100mと案内されている。
展望台から眼下に広がる展望 展望台からは西にアンテナの立つ大森山、眼下に吉井川と熊山の田園風景が箱庭のように美しく広がっている。山の尾根に続く鉄塔もアクセントがあり、緑の樹林にマッチしている。小休止を兼ねて暫く眼下の展望を眺めた後、五合目の展望台を出発する。
擬木の階段を登れば「かえる岩」を過ごす。ここには「遺失物、行方不明など願掛けの神話が・・・」と案内されている。 かえる岩 かえる岩を過ごし足下の不安定な登山道を進む。大岩を過ごせば再び擬木の階段が続き、間もなく六合目に到着。ここには熊山駅から2600m、展望台までは1600mと案内されている。また、「六合目横眺」の案内もあり、すぐ側の鉄塔まで行くと、鉄塔広場から眼下には田園地帯が広がっている。
登山道に戻り広い道を進めば、擬木の階段が続き、間もなく「赤松峠口」の案内を過ごす。ここでは「上り下りが峠、昔より赤松峠と呼ぶ。(地元奥吉原 古老の話)」と解説してある。更に擬木の階段を辛抱して登り、平坦な道に着けば「赤松峠」の案内板の立つ場所に到着。「赤土に赤松のこの付近を・・・」と案内されている。ようやく峠を越え、赤松の多い場所を進む。 赤松峠口 赤松峠 擬木の階段を下れば正面に熊山の美しい山容が現れた。階段を下りる途中で八合目の案内を過ごし、鞍部に下りて緩やかな坂道を少し進めば、左手に展望台の案内を見つけた。左の道に入り展望台の上に登れば北に緑色の湖を見下ろすことが出来た。但し湖と小高い森以外の展望はなく、すぐに登山道へ引き返す。
足下には赤っぽい道が続き、周囲は地元の小学校の卒業記念植樹林となっているようだ。緩やかな坂道を登れば間もなく舗装林道を横切り、その先には竜神二つ井戸、雄竜と雌竜井戸が現れた。左右の井戸からはとても美味しい清水が湧き出しており、この銘水を一口飲めばすぐに元気になる。
竜神二つ井戸(雄竜と雌竜井戸) 井戸の横を抜け、更に登山道を進めば、この先で右手が階段、左手がコンクリート道の分岐が現れる。この分岐は右の熊山神社に向けての近道を採る。擬木の階段を進めば、すぐに熊山神社の石鳥居を潜る。この先の左右に鎮座する狛犬は備前焼のようだ。
熊山山頂の熊山神社に到着、神社の右には木製の神牛が祭られており、左にはやはり木製の神馬が祀られていた。神社の境内を一周すれば。神社の一角には児島三郎高徳挙兵の跡があり、建武三年(1336)四月、上寺山の館から熊山に兵を挙げた時の腰掛岩と旗立岩であると説明されている。
神馬と神牛 神社散策を終了したので次は熊山遺跡方面へ向かう。熊山神社の階段を下り、コンクリートの道まで下り右折。案内に従い進めば、右手に万富駅方面への分岐を過ごす。万富駅までは鍛冶神社を経由して4.5kmと案内されている。但し、もう一つの案内には登山口まで3.4km、JR万富駅5.4kmと案内されており、どちらが正しいのか分からない。
更に登山道を進むと右手に天然記念物の大杉二本が聳え、樹高38m、樹齢約一千年と説明されている。大杉を過ごしもう少し進めば、左手に猿田彦神社が祭られている。広い参道を進めばすぐに猿田彦神社に到着、神社に参拝後引き返していると、一石五輪塔を見つけた。これは一つの石に五輪が刻まれた塔と説明されている。
あちこち散策しながらの登山もいよいよ最終段階、目の前には国指定史跡、熊山遺跡が姿を現した。以下は遺跡前の説明板に記載してある事項である。 この遺跡は、熊山山頂(508m)に在って、全国に類をみない石積みの遺構である。ほぼ、方形の基壇の上に、割石をもって三段に築成している。第一段は南面が狭く、北面が広い台形、第二段は、南面が広く、北面が狭い台形になっている。第二段の四側面の中央に龕が設けてある。第三段は、方形であるが、中央部分に大石で堅穴の蓋がしてある。 石積の中央には、堅穴の石室(約2m)が作られていて、その石室に陶製の筒型(五部分に分けられる)の容器(高さ1.6m)が収められていた。この陶製の筒の中に、三彩釉の小壺と文字が書かれた皮の巻物が収められていた。と伝えられている。陶製の筒型容器と三彩釉の小壺からみて、本石積遺構の築成年代は、奈良時代前期で、三段の石積の仏塔と考えられる。 また、勝山山塊には、現在大小三十二基の石積の跡が確認されている。国指定の石積遺構に類似しているが、築成の目的、年代、築成者などは異なるものと思われる。 熊山遺跡 熊山遺跡(動画) さてガイド等の本の写真で眺めていた熊山遺跡を目の前で見ると、よくぞこんな大規模な石積を手作業により並べたものだと感心するばかりである。気の遠くなるような時間を費やしてこのような構造物を作り上げたことだろう。周囲を一周しながら、熊山遺跡を観賞、次は南を見下ろす展望台に向かう。 展望台へ 展望台手前の休憩所には既に先着の登山者4名が座っていた。展望台の上に登り眼下に広がる大展望を観賞。南には小豆島が大きく、南東方面には播磨灘が霞みながらも存在感を示している。備前市の美しい展望に満足したので展望台を離れ下山を開始、下山場所は少し遠回りのようだがJR赤穂線の伊部駅を目指す事にした。 眼下に広がる展望 熊山神社を左に過ごし、更に進めば来た時の分岐に出会うが、そのままコンクリートの道を下ると、広い駐車場に出る。舗装された道を東へ向かえば、右に油滝神社と香登駅方面への分岐を過ごす。なお、油滝神社へは500mと案内されている。更に舗装道を進むと伊部駅7kmの古い標識を過ごす。
このまましばらく舗装林道を歩くことになるのだが、高度がなかなか下がらない。5分程度進んだ先で左手に熊山無線中継所への分岐を見る。ここには507.8mの三角点があるはずだが、もう熊山山頂の熊山神社を踏んでいるのでそのまま林道を下ることにした。無線中継所への入口から15分歩けば防火林道への入口に到着、林道を左折して防火林道に入る。
見晴台まで270mの整備された指導標に従い、未舗装林道を進むとすぐにコンクリートで整備された遊歩道が現れる。もう少し進めば見晴台への遊歩道の指導標が立ち、遊歩道は直進方向と右方向に分岐する。どちらの道を通っても最後に合流するのだが、この時点では合流することがわからず、直進方向の遊歩道を取ることにした。なお、右の遊歩道は最近整備されたようでとても歩きやすくなっている。
遊歩道を少し進むと425.6mの三角点ピークを過ごし、少しの傾斜の坂道を下る。車止めの鎖が渡された右手に、伊部駅への古い指導標が立っていた。左手に境界見出標を眺めながら進めば、この先の分岐は伊部駅へ向かって右に進路を採る。
周囲に松の多い遊歩道を下れば、間もなく先ほど分かれた遊歩道と合流、少しの坂を登れば休憩舎のある展望台に着いた。この先にある展望岩の上に立つと眼下に備前市の展望が広がり、その先には瀬戸内海への入口の片上湾・東備湾が広がっている。
眼下に広がる展望 眼下に鬼ヶ城池を眺めた後、展望岩を出発。次は林道鬼ヶ城線へ向かって下りる。広い遊歩道はやがて横木の階段道に変わり、カラカラに乾いた滑りやすい道となる。周囲の山に露岩を眺めながら下りて行けば、足下はますます滑りやすくなる。でも、眼下に広がる大展望を眺めながら下るのは悪くない。急な斜面を滑らないよう慎重に下りて行けば、正面には鉄塔横に露岩の目立つ山が見えてきた。
この先に分岐が現れ、右に行けば親水の森、左に行けば林道鬼ヶ城線と案内されている。この分岐を左に採り、更に下れば沢に架かる橋を渡る。もう一踏ん張りすれば舗装された林道鬼ヶ城線の終点に到着。ここで時計を確認すると、伊部駅を発車する電車の時刻まで残り40分を切っていた。でもこのまま順調に進めばなんとかこの電車に乗れそうだ。
この先は何の心配もない舗装林道を下る。途中の右手に高倉稲荷大明神への分岐を過ごし、背後を振り返れば屏風岩と思われる露岩が現れた。美しい岩山を鑑賞しながら小休止を取る。この先で備前市指定史跡の備前焼熊山古窯跡を眺め、右手には鬼ヶ城池を過ごす。間もなく林道鬼ヶ城線の起点を通過、眼下を見下ろせば周囲に備前焼の窯元の煙突がたくさん見えている。
この先で新幹線のガードをくぐり、旧山陽道の伊部橋に着いて左折、旧山陽道を東へ進む。道沿いに備前焼の店を眺めながら進めば間もなく交差点を右折、正面にJR伊部駅が見えてきた。急いで駅前に行き、信号待ち。列車の発車時刻まで残り3分を切っている。無事間に合ったと安心していたら、なかなか信号が変わらない。
目の前の時計を眺めるともう列車の発車時刻まで2分を切り始めたので財布を用意してじりじりする。残り1分30秒、ようやく信号が変わったので駅に向かってダッシュ。この駅では切符は対面販売、熊山まで!とお願いすると、のんびりした動作で切符を渡して頂いた。ところでホームは?と訪ねると、反対側との返事。これは大変だ、走って階段を上り反対側のホームに着いたと同時に列車はホームに到着。
電車に飛び乗り、息を整えた後、周囲の目も気にせず昼食のおむすびをほおばる。これでようやく人心地がついた。この路線は赤穂線であり、東岡山駅で山陽本線に乗り換え、熊山駅に向かう。乗り換え時間も含めて伊部駅から熊山駅までの所要時間は約1時間。熊山駅に到着し、駅前のT字路を左折、そのまま道なりに進めば、登山口の駐車場に到着した。これぞまさしく一周周りの山歩きだ。
石畳 竜神二つ井戸 熊山神社 児島三郎高徳挙兵の跡 熊山遺跡 正面と背後から 熊山遺跡の展望所 展望岩 急斜面 鬼ヶ城池 旧山陽道伊部橋 前の山 荒戸山 を見る 次の山 鬼ノ城山 を見る 登山口周辺の地図はこちら 岡山県赤磐市 熊山 登山口付近のMAP |