トップに戻る 2023年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順
西の展望所 →0:30→ 阿吾神社 →0:07→ 上阿宮第一集会所
当日は反時計回りで城平山を周回したが、時計回りに登る場合には集会所から西に350m進んだところの阿吾神社を登山口とすれば良い。この神社横に登山者駐車場が用意されている。さて、集会所前を出発、先ほど確認した城平山案内板の立つ場所に着き、これから登る山の情報を仕入れておく。
城平山は富士山に似た山容から阿宮冨士と呼ばれており、山の上が平である事から城平山と呼ばれるようになったとのこと。案内板の前を出発し、北へ続く鋪装道を進む。左に民家と石仏を過ごせばこの先から足下はコンクリート鋪装に変わり、右に廃屋を過ごせば未鋪装道に変わる。
コンクリートの橋を渡ると周囲には春の花が咲いており、まさに春爛漫の中の登山である。わずかな坂を登れば右に平坦な広場があり、盛りを過ぎて葉の目立つ桜を眺めることができた。これも春の風景である。
竹林を抜ければ植林の下を進むことになり、城平山登山道の案内が設置されていた。この案内は要所に配置されているため、道に迷う心配は無い。左に歴史ある石組みを眺め道なりに進むと目の前に竹林が現れ、足下は滑りやすいガレ場に変わる。慎重に足下を確認しながら高度を上げれば再び案内板が置かれていた。
植林の右端に付けられた真っ直ぐに続く道を辿れば、やがて光明寺の敷地に近づいた。敷地手前には参拝者以外の立入は禁止と注意されていた。光明寺の境内を通って高瀬山へ縦走する登山者が後を絶たず、光明寺の方が迷惑されているのだろう。
さて、光明寺の敷地前で折り返すように左折し、少し進めば急登に取り付くことになる。補助のロープの渡された道が続き、一気に高度が上がる。すぐに311mの標高点との鞍部に着くが、311mは光明寺の敷地内なので立入禁止となっていた。
さて、城平山へ向かって進むと掘切を通過し、この先でショッキングピンクのミツバツツジを観賞、島根県では多くの花に出会う事ができた。急な斜面に渡された補助のロープを伝って高度を上げれば、城平山の東の展望地に到着、坂を登ったところには四等三角点が置かれていた。
bW1だったので1回押してbW2としたが、いつからの累計なのかは分からなかった。登山のノートに登山道整備の感謝の気持ちを書かせて頂いた。さて、西の展望地に移動するのだが、登山道は山頂の北側に続く道と南側に続く道に分かれており、更に南の道は途中で一旦南へ下って西へ続く道と、そのまま西へ向かって途中から南に下る道があり、いずれの道を通ってもすぐに合流し西の展望地へ続いていた。
なお、北側の道をとり西の展望地に着く場合には途中で井戸の跡の案内があり、こんな高い場所でも井戸水が利用できることに驚いた。さて、西の展望所は平坦で広くやはりテーブルなどが設置されており、最近は芝桜が植えられたようだ。丁度花期にあたり、美しい花を観賞することができた。
山頂からの展望は北から南に掛けて広がり、北には以前登った高瀬山を眺めることができた。眼下に斐伊川が流れ、その先には三瓶山が遠くに見えている。大万木山は樹間越しながら存在感を示し、西の展望地からの展望も素晴らしい。時刻は12時を少し過ぎたところなので昼食を摂り、下山を開始した。
最初からロープの渡された急斜面を下り一気に高度を下げる。山頂から200mの案内の立つ場所に着き、樹間越しに斐伊川を眺めることができた。更に急な坂が続くので注意していると、時折南に展望が開ける場所がある。
振り返れば青空の下に城平山そびえていた。なお、城平山入口の案内板には山頂から1000mの位置と表示されていた。この先の分岐を右折すればもう一方の登山口の阿吾神社に着いた。神社に参拝し、登山の無事を感謝して石鳥居を潜る。阿吾神社の祭神は山幸彦で知られる彦火火出見神と豊玉姫神で初代天皇である神武天皇の父神ウガヤフキアエズノミコトはこの夫婦神の御子神である。
さて、神社前を出発し出発地の阿宮第一集会所までは最初に記したように350mの距離ですぐに帰り着いた。城平山は東西展望所とも素晴らしい展望が広がっており、楽しい周回をすることができた。
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