沖浦観音・砲台山(ほうだいやま)・高壺山(たかつぼやま)周回コース 山口県下松市笠戸島

トップに戻る            登った山のリストを見る    山名アイウエオ順

2010年1月16日

深浦バス停 →0:35→ 地蔵峠 →0:15→ 沖浦観音 →0:20→ 地蔵峠

 →0:20→ 砲台山最初の遺構 →0:15→ 高壺山

 →0:30→ 地図上の分岐(117m鞍部) →0:30→ 深浦バス停

全歩行時間 2時間45分

 本周回コースは、波に造形された、歴史ある沖浦観音の参拝と砲台山から高壺山へ至る旧日本軍の遺構見学を併せた、贅沢なハイキングコースです。

 明日の日曜日は終日予定が入っているため、山口県の山(山と渓谷社)の著者、中島先生のご案内により、山口県下松市にある笠戸島の山歩きをする。笠戸大橋を渡って笠戸島に入り、以前登った摺鉢山(すりばちやま)の登山口と下山口を確認し、深浦地区に到着。深浦バス停横に車を置き、海に突き出た亀山に祀られている深浦八幡宮へ。

深浦バス停横の駐車場から亀山を眺める 深浦八幡宮へ参拝

り、県道を右折、次の分岐を左折すれば近道になるが、そのまま県道を進み、深浦バス停から少し南に立つ公民館の手前を左折する。そのまま道なりに進むと右に深浦小学校を過ごし、間もなく分岐が現れる。沖浦観音へは左の道を採るが、孝女おまさの碑のある右の専修院円慶寺へ立ち寄る。

注)現在、深浦公民館は解体され、公民館跡にはポストのみ残っているそうです。案内の写真と実際の風景が違いますので、注意して下さい。

深浦バス停先の公民館の手前を左折 沖浦観音へは深浦小学校先の分岐を左折

 まさは宝暦12年(1762)笠戸の大変貧しい農家に生まれた。7才の頃から母の手助けをするが、そのうち母が重い眼病にかかり6年後盲目になる。まさは父と母の二人の仕事を引き受け、寝る間も惜しんで働き、細々と暮らしている時、父も母も高齢でまさの孝養を感謝しながら大往生した。後にこのことが藩主毛利公に知れ、家屋敷を賜り、家の前に孝女まさの頌徳碑が建てられたそうだ。

専修院円慶寺の「孝女まさの碑」 民家とガレージの間の道を進む

 さて、元の道に戻ろう。深浦小学校から続く道の分岐を左折、次の分岐も左折し沢から離れる。民家とガレージの間の道を進み地道に入る。整備された道を進むと、倒木を整備している方と出会った。沖浦観音へ行くことを伝えると、お接待にミカンを頂いた。お礼を述べて、よく踏まれた道を進む。

地道に入る みかん園の右を進む
振り返れば尻高山 歩きやすく整備された道

 間もなくジクザグに高度を上げることになるが、総じて歩きやすく明るい道が続いている。途中で共同アンテナの中継所らしき場所を過ごし、左右にシダの繁る緩やかな斜面を進む。左右のシダの高さに怯みながら更に進むと、間もなく左に共同アンテナが見えた。アンテナ横の高台に立つと、南にはこれから向かう稜線が続いている。

共同アンテナの中継所らしき場所 シダの刈り払われた道
共同アンテナ 砲台山から高壺山へ向かう稜線

 共同アンテナからもう少し進むと、右に荒れ加減の分岐を過ごし、更によく踏まれた道を進むと、右に分岐が現れ、整備されたばかりの道が南へ続いていた。この道は砲台山・高壺山へ続く縦走路入口である。道なりに東方面へ向かえば、地蔵峠堂の建つ地蔵峠へ到着、地蔵峠堂へ参拝し、南東へ下る道に入る。

荒れ加減の分岐を右に過ごす 砲台山・高壺山へ続く縦走路入口を振り返る
地蔵峠堂の建つ地蔵峠 地蔵峠堂へ参拝

 明るい道をジグザグに下りて行き、途中の左手にトタン屋根のお堂を見つける。反対側から眺めると石仏が祀られていた。更に坂を下ると少し光方面の展望が開け、やがて道は右方向へ大きくふくらみ、更にジグザグな道を下る。

地蔵峠堂から南東へ下る トタン屋根のお堂
石仏が祀られている 右に通夜堂の建物を過ごす

 間もなく南へ真っ直ぐ下る道に入れば、右に通夜堂の建物を過ごし、折り返すように左下へ向かう。少し下りて沢沿いに下りる道に入れば、もう波の音が近い。間もなく眼下に海が現れ、海岸へ下り立った。

沢沿いに下りる 海岸へ下りる
下りてきた岩場 海岸を東へ進む

 左(東)方向へ進むと台形の大岩があり、この岩の上に向かうと何かを置いていた跡を見つけることができた。この岩は沖浦観音のご神体であり、南東方面からこの岩を眺めると、荒波に削られ観音像に整えられた岩を見る。また、この左右にもまるで脇侍のような形の像を見ることができた。

ご神体の観音岩  観音岩の上

沖浦観音と脇侍

 丁度昼になったので、カップヌードルとおむすぴ2個の昼食を摂る。今日は暖かく、さすがに雑炊を作る気にはならなかった。沖浦観音から海を眺めれば南東には上関町の祝島を眺めることができた。この沖浦観音周辺の岩には特徴的な模様があり、とてもユニークな形をしている。

特徴的な模様 摩天崖のような風景

 沖浦観音を出発、元来た道を引き返し地蔵峠を目指す。地蔵峠からは西へ戻り、間もなく午前中に過ごした砲台山への分岐に到着、ここで単独行の登山者と出会う。この先急な坂道を登り、平坦な尾根に着く。これから先は旧日本軍の遺構らしきレンガや基礎を眺める。特徴ある標石(波印海軍省標石)を過ごし、203mピークを過ごすと、正面には砲台山が大きく聳えている。

分岐から急な坂を登る 足下にレンガを見る
波印海軍省標石 砲台山

 坂を下り、変則四差路を過ごし、急な斜面を登る。途中から背後には、木の間越しに海が見えてくる。更によく整備された道を登ると、レンガ造りの旧日本軍の遺構を眺めることができる。この遺構を過ごし、平坦な尾根を進む。砲台山のピークは、更にもう少し進み縦走路下に遺構を眺める場所のようだ。砲台山のピーク周辺を散策し、旧日本軍の遺構を眺め、砲台山を出発する。

変則四差路に出る 木の間越しに海が見える
整備された道 レンガ造りの旧日本軍の遺構
旧日本軍の遺構 平坦な尾根道

縦走路下の遺構

 

笠戸島の砲台山に残る旧日本軍の遺構(動画)

 正面には高壺山が木の間越しに見え始めた。左右にやはり旧日本軍の遺構を眺めながら進むと、四角い升のような施設があちこちに作られていた。平坦な場所には大きな施設が作られていたのかも知れない。

木の間越しに見える高壺山 四角い升のような施設
広く平坦な場所 遺構を眺めながら進む

 間もなく縦走路は左方向へ向かい、坂を登り始める。道の中央に特徴的な模様の掘られた標石(波印海軍省標石)が多く埋めてあるが、何を意味するものかは分からなかった。坂の途中にも遺構は残っており、広い範囲に軍事施設が作られていたようだ。

縦走路は左方向へ向かう 波印海軍省標石

 坂が終わり平坦路になれば、間もなく高壺山の山頂に到着。ここには二等三角点が置かれていた。周囲に展望はないもの、木漏れ日の下とても明るい山頂である。中島先生と恒例の記念撮影後、すぐに山頂を出発した。三角点先の左に見える、石柱(赤いペンキが塗られている)方向へ少し下ると、やはり旧日本軍の遺構が残っており、高壺山山頂から火振岬へ向かう稜線上に沢山の軍事施設が建設されていたことがわかる。

平坦な山頂

赤い石柱の所から左の尾根へ下りる 旧日本軍の遺構
縦走路に転がる岩 明るい縦走路を下る

 周囲に展望は無いものの、自然林の下には岩も転がっておりとても良い雰囲気の縦走路が続いている。進行方向には尻高山が見え始めたので眺めていると、意外と高そうに感じた。やがて鞍部の十字路(大浦峠)が現れたが、これは地図上の分岐(117m鞍部)よりかなり手前に位置している。この大浦峠を右折すれば深浦へ下りる最短コース(営林小屋ルート)であり、左折すれば海岸へ下りることができる。今回は地図上の分岐(117m鞍部)を下る予定なのでもう少し下ることにする。

木の間越しの尻高山 大浦峠の分岐

 一旦鞍部に下りて再び登り返す。木漏れ日の射す明るい縦走路はとても気持ちがよい。ピークから下れば間もなく地図上の分岐(117m鞍部)に到着した。この分岐を右折し、登山口の深浦を目指す。

地図上の分岐(117m鞍部) よく踏まれた道を下りる

 この先の道はよく踏まれており、とても歩きやすい。沢沿いに下れば間もなく舗装路に着き、周囲に石組みの美しい棚田を眺めながら下ると、海岸線に着いた。

舗装路に着いた 海岸へ向かう
海岸に置かれた鳥居 間もなく登山口の深浦バス停

 海岸に置かれた鳥居は何なんだろうと疑問を持ちながら海岸線を進むと、やがて登山口の深浦バス停に到着、一周回りの快適な登山は無事終了した。

 なお、本周回コースでは、沖浦観音のある海岸線へ下る付近が少し荒れているので要注意。また、高壺山から火振岬方面の尾根上にある遺構を探す際、少しのヤブコギが必要となる。この際には、山頂へ戻る方向を確認しながら進んで頂きたい。

 帰る途中に陸軍暁部隊の艇庫があると言うので立ち寄る。海岸線を歩き、船を隠したと言われる艇庫に到着。岩をくり抜いた艇庫に対面し、その壮大な作業を思えば、人は何でもできるものだと感心した。暫く艇庫周辺を散策した後、笠戸島を出発した。

陸軍暁部隊の艇庫

 前の山 太華山・大島半島縦走 を見る

 次の山 陣古屋山 を見る

歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 山口県下松市 高壺山 登山口付近のMAP

登山リスト(あいうえお順)に戻る

登った山のリストに戻る

トップに戻る