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→0:20→ 高取城 →0:20→ 猿石 →0:15→ 高取城分岐(丁字路)
→0:10→ 高取城登山道入口 →0:30→ 壷阪峠
壷阪寺は大宝3(703)年弁基上人により開かれた霊山で、正式には壷阪山南法華寺と言い、十一面千手観音信仰の一大道場で、西国霊場の第6番札所、古来より眼病に霊験あらたかな寺として信仰されている。説話「壺坂霊験記」におけるお里、沢市の話は有名である。また、日印合同でさまざまな浄行を行っており、境内にはインドで製作された大観音石像(全高20m)や仏伝図石造レリーフ(全長50m)、大涅槃石像(全長8m)などの大石造美術が安置されている。
壺坂寺から舗装道を車で移動、壺坂峠手前の空き地に車を置いて高取城への登山を開始する。すぐに登山口へ着き、登山道は左に分岐する。案内には五百羅漢岩まで0.2km、山頂の高取城までは2.8kmとある。すぐに高取町の展望が広がるも、霞んでいるため場所を特定することはできない。右に道案内の石塔、その上部に石仏を過ごし足下の彫られた道を辿れば二つの石塔を過ごす。
そのまま進むと左右の分岐となり、どちらを進んでも先で合流する。その分岐の起点には大岩があり、この岩には多くの石仏が彫られていた。これが五百羅漢岩で素朴な彫りの石仏が疲れを癒やしてくれる。
植林帯の下につけられた道を進むと進路は右へ向き、途中の案内には高取城跡の手前に八幡神社が祀られていることを示すものがあった。しばらく植林帯の下に続く明確な道を進んでいると、周囲に墓地をいくつか見つけた。登山道の上には車道も走っており、高取城へは車に乗ったまま、ある程度の場所まで行くことができそうだ。
やがて車道に合流するが、少し進むと車道と別れて登山道に戻る。史跡高取城址の石碑を過ごせば、すぐに直進と右への分岐となる。ここでは右の道を採り八幡神社へ参拝する。急登をわずかに辛抱すると、平坦な広場へ飛び出る。この場所が八幡神社境内で、明るい神社へ参拝後、急な石段を下る。
石垣の上で壷阪口門跡の案内を過ごし、急な木製階段を登る。この先で壷阪口中門跡を通過し、石垣の間を進むと丁字路へ着く。左は土佐街道(壺阪山駅方面)で、高取城へは右道となる。
高取城跡へ向かって丁字路を右折、左右に石垣、その先に緑のシャワーが美しい。本丸までは残り200m、城跡散策も最終段階で大手門跡を通過する。城跡周囲に立つ木々の若葉が美しく、まさに春爛漫という情景が広がる。
高取城以外の日本三大山城跡は岐阜県伊那市の美濃岩村城と備中松山城で、岩村城は戦国時代幾多の戦乱の舞台ともなり、城主遠山影任没後その妻が采配をする女城主の時代もあったそうだ。また、備中松山城は天守、二重櫓、土塀の一部が現存しており、現存する城の中でも最も高い所に建つ山城である。
さて、案内に従い奥へ進み、わずかに高度を上げれば本丸跡へ着き、更に一段高い所へ上がれば三等三角点の置かれた高取城山頂である。山頂からは西に金剛山、葛城山が霞みながらもそびえていた。山頂の石垣に腰掛けて昼食を摂り、すぐに山頂を出発した。
猿石を眺めたので高取城での予定は終了、元来た道を引き返して登山口まで戻った。高取城からの下山後、高取城の二の門の移設された子嶋寺へ移動し門を確認した。近くにあるキトラ古墳や高松塚古墳も観光したが、埋め戻してあるため単なる丘にしか見えかった。次に於美阿志神社へ移動、多重塔を見て最後の観光は益田岩舟、とても大きな岩を眺めた。人工的に彫られた所もあったが、その大きさにはびっくりした。
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