高松山(たかまつやま)広島県広島市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2008年 9月28日 高松山 登山口 →0:15→ 水場 →0:20→ 高松山山頂 →0:15→ 水場 →0:10→ 登山口 全歩行時間 1時間 0分 高松山は歴史ある高松城跡で、山頂からは、北に備前坊山・可部冠山・堂床山、西には東郷山・窓ヶ山・向山、南には遠く広島湾まで見晴らすことが出来る。また、眼下には可部の市街が箱庭のように広がり周囲に素晴らしい展望の広がる山である。 犬伏山を出発、時間が早いので次は可部の高松山へ向かう。県道6号を走り国道54号に入る。出雲街道を下っていると梨の直売店を見つけたのでお土産に梨を購入。広島市安佐北区に入ると早速高松山が見えてきた。
登山口へは可部高校(南)交差点を過ぎて高松橋を渡ると同時に左折し、根谷川沿いを北へ進む。右手に広がる空き地の先に高松山登山道入口標識が立っているので車を置いて登山を開始する。なお、登山口には高松城跡と高松神社の大文字祭りの説明が記載されているのでしっかりと読んでおく(説明文は末尾に記載)。
この奥にイノシシ除けを兼ねた登山口の扉が設置してあり、扉を押して入ると高松城跡登山口、頂上まで1100mと彫られた立派な石碑が立って居る。坂道を登ると墓地を過ごし、墓地の先の大鳥居を潜る。
鳥居を過ぎると足下には岩が目立ち始める。気持ちの良い自然林の下を快適に進むと石を並べたような場所を過ごす。この先からは足下に転がりやすい岩が点在、ますます慎重に進んで行けば水場に到着。丁度のどが渇いていたので飲んでみると冷たくて美味しい。水場にて顔を洗い気分を引き締めて登山を再開する。
この先の右手に泉の場所を過ごし、着実に高度を上げて行くと「高松神社近し」の標識が現れた。この付近から頭上を覆っていた樹林が切れ、周囲が明るくなる。シダの茂る道を少し進めばもうそこは高松神社の境内、すぐに高松神社に到着した。
高松神社に参拝後、神社の裏を進むと可部を見下ろす展望地を過ぎる。更に高度を上げると間もなく高松山の山頂、高松城跡に到着した。山頂からの展望は本日一番の展望、東方面を除く三方が大きく開けている。
高松山山頂 北には備前坊山・可部冠山・堂床山、西には東郷山・窓ヶ山・向山、南には遠く広島湾まで見晴らすことが出来る。眼下には可部の市街が箱庭のように広がり、JR可部線の電車は丁度可部駅に到着したところだ。 ↑ 南から西にかけての展望 ↓ ↑ 北方面の展望 ↓ 高松山山頂から周囲の展望(動画) 時刻は午後5時を過ぎ、秋の夕暮れが迫っている。山頂を東の端まで行き、「鐘の段跡」を眺めた後下山を開始する。高松神社を過ぎ、樹林の中に入ると周囲はすっかり暗くなっていた。
ますます足下に注意を払いながら下山を続け、無事登山口まで到着、本日の予定は無事終了した。可部の市街を走りながら高松山の写真を撮り、ゆっくりと一般道を帰る。本日は登山時間が短い山を中心に登ったようだ。 高松城跡の説明 熊谷氏は、承久の変(1221年)の戦功の賞として、この辺りの安芸国三入庄(あきのくにみいりのしょう)に地頭職を与えられ、武蔵国熊谷郷(埼玉県熊谷市)から大林の伊勢が坪に移って来て居城を構えた。次第に勢力を伸ばした熊谷氏は、のちに三入庄の南の入り口に位置するこの高松山(339M)へ城を移した。築城は四代目直経の時代であったが、実際の入城は勢力が強大となった十二代目信直の時代(1500年頃)と思われる。しかし入城の時代には諸説があって明確でない。 大文字祭り(高松神社) 亨保5年(1720年)に可部町の町の大半が焼け野原になる大火があった。可部には火を使う伝統の鋳物業が発展しており、町屋も軒を連ねて密集しているので、再び火を出さないようにと願って、火伏せの神として有名な京都の愛宕神社の祭神である迦具土神をお迎えし、可部の町から鬼門(北東)の方角に当たるこの高松山の山頂近くに高松神社を祭った。 高松山 高松神社 高松山山頂 遠くに広島湾 阿武山 可部の市街地 可部冠山と南原ダム 前の山 犬伏山 を見る 次の 丸瀬山 を見る 登山口周辺の地図はこちら 広島県広島市 高松山 登山口付近のMAP |