山口県の山から山口県百名山へ |
健康のためにウオーキングを始め、その延長でハイキング気分の山歩きを始めて4年目に入り、中島篤巳氏の山口県100名山の踏破をこの度ようやく完遂した。 思い起こせば2000年に健康志向のウオーキングを始め、2年間のウオーキングの後 、柳井市の三ヶ嶽に登り、山頂からの素晴らしい景色を目の当たりにし、趣味と健康のためのハイキングが始まった。中島篤巳著「山口県の山」を片手にどこかの山に登ろうと家を出発、近くの大畠のレストランから見えた周防大島に向かい、行き当たりばったりの100名山最初の山は文珠山、引き続き嘉納山へ縦走をした。文珠山の櫓の上から見える大展望は今でも心に残る素晴らしい景色だ。引き続き縦走をした嘉納山まで続く植林帯の中の涼しさは格別だった。 上関の皇座山は土曜日登山の典型で、私の職場が土曜日の午前中まで勤務のため、近場の登山はこのケースが多くなっている。皇座山には柳井市相ノ浦よりミカン畑の中を通り向けて登った。登山道とは整備された道ばかりと思っていたらゴロ石の転がる滑る道で、運動靴では少々歩きづらい事が分かりかけてきた頃である。 大和町の石城山では石城神社の参拝中に偶然宮司さんと出会い、絵はがきを頂いた。平生町の大星山では夕方から登ったため、瀬戸の夕日は素晴らしかったものの、最後には真っ暗な道を歩き心細い思いをした。大島半島縦走となった源明山・嘉納山・嵩山の走破は所要時間は6時間28分、当時としては驚異的な歩行時間で、歩く事にだんだん自信を持ち始めた時期である。 防府市右田ヶ岳では岩山と岩に掘られた磨崖仏のすばらしさを堪能し、同日引き続いて登った周東町蓮華山では山頂から見える素晴らしい景色に感動した。熊毛町の烏帽子岳には島根県の安蔵寺山と盛太ヶ岳の登山後に登った。大将軍からの素晴らしい眺めに感激をした事と楽々登山だった事が記憶に残っている。 由宇町の大将軍から銭壺山への縦走では登山口がなかなか見つからずもたもたした事と、山頂での素晴らしい景色、暗い車道をとぼとぼ降りて登山口まで戻った時の安心感は格別だった。阿東町の十種ヶ峰には珍しく雨の中を登った。晴れていれば素晴らしい景色なのに残念な時に登ってしまった。 鹿野の莇ヶ岳では初めての鎖場に感激した。また、登山靴の必要性に気が付き、登山後登山靴を早速購入した。柳井市の氷室岳には平日の夕方から登り狸と遭遇した。山頂からの夕焼けは見事だった。山口県最高峰の寂地山では霧の中の登山をした。真夏のブナ林の緑は素晴らしかった。山頂周辺をさまよったが地図が無いのでどこを歩いたのかさっぱり分からなかった。 豊田町の白滝山は初めてのゴルジュ帯、綺麗な白滝に感動した。引き続き登った豊田町の狗留孫山では修禅寺への参拝者の多さにびっくりした。錦町の右谷山では気持ちの良いブナ林を楽しみ、小五郎山では腰の高さ以上の笹藪と素晴らしい景色に感動した。 美和町白滝山には土曜の午後からの登山だったが、滑りやすい岩山で弥栄ダムを眼下に見下ろす素晴らしい展望が開けていた。錦町の平家ヶ岳には香椎神社から組立式バイクで登山口まで走ったが、登山口の平家屋敷跡までが遠い道のりだった。山頂からは六日市方面の展望が広がっていたが少し霞んだ天気だったのが残念だった。 岩国市の城山から岩国城までの縦走は登山でもしない限り、ロープウエイを使用せずに登る事は考えられなかった。自分の足で岩国城に登り、錦川と錦帯橋の景色を眺めるのは格別だった。羅漢山では100名山で唯一奥さんと一緒に登った山となった。遠く瀬戸内海を展望することができたので、楽しい一日を過ごす事ができた。 徳山市の金峰山では雨の中を登り、初めてカッパを使用した。雨と霧の中の登山で展望はほとんど無い状況だった。徳山市の昇仙峰には土曜日の午後より登り、山頂の海軍の軍事施設が印象的だった。引き続いて登った四熊ヶ岳の登山口では有名な金明水を頂き、山頂では四熊ガ岳神社に参拝をした。 錦町の鬼が城山は山口県側のようたあ林道経由で登ろうとしたが、雑草に阻まれて初めて登山を断念をした山である。この山には後日、広島県側の飯山登山口から登ると簡単に登る事ができた。山頂からは広島の海が見えて感激をした。鹿野の長野山には横木の階段に難渋しながら登り、山頂にはちゃんと車道が通っているのにびっくりした。また、山頂には展望台が設置されており、素晴らしい景色を楽しんだが、当時は山の名前をほとんど知らず、地図も持参していなかったので山座の特定をする楽しみを逃してしまった。 阿東町の高岳山と三ツヶ峯縦走は最初から予定したものではなかった。高岳山に登り津和野方面から日本海の展望を楽しんだ後下山を開始したが、 たまたま桐ヶ峠に「三ツヶ峯方面に笹刈り終了」の標識がぶら下がっていたため引き続き登る事ができた。三ツヶ峯山頂から津和野駅のSL山口号を見る事ができたのでびっくりした。 徳地町の千石岳では山頂の二基の祠に参拝をした。引き続き登った徳地町の狗留孫山では神聖な信仰の道を通り過ぎ、奥の院を経由して山頂三角点まで到着した。柳井市の琴石山には三ヶ岳への縦走という形で登り、周防大島の大島大橋と松山行きフェリーの展望がマッチして箱庭のような景色を楽しんだ。 山口市の火の山から陶ヶ岳への縦走では岩山登山の醍醐味を楽しみ、下山後には紅葉まで楽しめた。徳山市湯野の観音岳では一口10年と言われる延命水を二口飲み、山頂からの下山途中に突然の雷雨によりずぶ濡れになった。 しばらく鳥取県の大山や島根県の三瓶山等県外の山を楽しんだ後、中島篤巳著「山口県の山」の踏破を目指して再び山口県の山に戻る。防府市の矢筈ヶ岳では山頂南側の展望地の大岩の上に登り足がすくんでしまった事。アンテナ銀座の大平山では幻想的な瀬戸の展望を楽しんだ。 鹿野の馬糞ヶ岳では登山口に入ってすぐに道を間違えてしまい危険な目に遭いながらも山頂に到着し、初雪を見る事ができた。引き続き鹿野の莇ヶ岳から弟見山に向かう縦走に臨んだ。 莇ヶ岳までは楽々登山だったが、弟見山に向かう縦走路では足が痙攣しそうになり、体力の限界が見えてきた。 宇部の霜降岳では何度も道を外し、藪の中を歩く事が多かったが前城跡・本城跡・後城跡を巡った。この頃より道を間違える事が多くなってきた。当然間違える理由は自分勝手な思いこみである。岩国市の弥山には雪の残る山道を登り、日宛神社の幻想的な風景を見る事ができた。 下関への遠征は用意周到に準備し、心配なのは天気だけだったが、順調に最初の山の登山口の石鎚神社に到着し、四王司山に登った。山頂の四王司神社に参拝し、展望地からは下関競艇のオーロラビジョンがくっきりと見えた。次の勝山ではふるさと展望台からの青山方面の展望が印象的だった。龍王山では山頂のカラフルなトーテムポールと北九州の展望が印象的だった。帰りに上宮への階段を裸足で歩き、足が凍えた事が懐かしい。最後の鬼ヶ城山へは午後3時を過ぎて登り始め、重い足を引きずっての登頂となった。山頂では龍王山と日本海方面の素晴らしい展望が待っていた。 この頃は疲れを知らず、阿武町の神宮山では1478段の階段登りの末に奥宮に到着、ご神体の大岩を覆う鮮やかな緑のツタを期待していたが、この時期ではご神体も丸裸だった。引き続き登った萩市の田床山では山頂から眺める指月山が美しく、指月山に向かう途中の萩城跡では桜祭りが開催されており、ミドリヨシノの桜を見学した。指月山に向かう歴史の道はとても苔むして印象的だった。引き続き登った笠山ではこんな低い山なのに道を間違えるという失態を犯してしまった。山頂から見える沖に浮かぶ大島には、山が無く平らな不思議な島だった。 花尾山山頂の石像は一番楽しみにしていたもので、山頂にて期待を裏切らない印象的な石像を確認、何度見ても飽きないものだった。次に美祢市の雁飛山に登り、雁飛山山頂からは双眼鏡で花尾山を見ると頂上に人がいることが確認できた。引き続き秋芳町の桂木山へは満開の桜を見ながらの花見登山で、山頂からはカルスト台地の展望が開けており、山頂の2体の妙見宮に参拝した。更に夕方5時前から4山目の長門市の高山に登り、山頂からの360゜の展望を楽しんだ。特に大門・小門の絶壁は素晴らしかった。 徳地町の白石山では有名な白石観音と接待岩・広い展望の岩を楽しみ、東鳳翩山では山頂から360゜の大展望に感動、山口市街が箱庭のように綺麗に見えた。引き続き登った男岳では東西鳳翩山はもちろんの事、桂木山から秋吉台・長門の先の日本海に浮かぶ島まではっきりと識別することができた。 秋芳町の龍護峰では秋吉台から鳳翩山方面の新緑が眩しかった。引き続き登った豊田町の華山では下関の鬼ヶ城山・竜王山、その先の北九州まで展望する事ができた。この日最後にはやはり豊田町の一位ヶ岳に行き、山頂から360度の展望を眺め、天井ヶ岳の勇姿や向津具半島、仙崎湾・深川湾、長門高山などの展望を十分に楽しんだ。また、眼下には俵山温泉郷がはっきりと見えた。 阿東町の大蔵ガ岳では有名な権現窟に参拝し、登頂ノートに初めて記入した。同じく阿東町の黒獅子山は「山口県の山」の最後の山となった。登山口を間違えたりで苦労した山頂には祠が2基立っており、これまでの登山の無事に感謝しつつ下山をした。 一冊の登山ガイド本を終了した事により、しばらく目標を失い、近くの山を楽しんでいたが次なる目標を山口県百名山に切り替えて山口県の山に向かう決意をした。
注)本文中の書籍「山口県の山」は旧版です |