トップに戻る 2024年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順
→0:10→ 法師ヶ岳 →0:10→ 一の鳥居 →0:15→ 登山口
金明水の横を通り鋪装道を進むと丁字路に出る。山頂まで約1kmの案内を確認し進路を右にとり、民家を右に見ながら坂を登る。石垣の横に登山案内があり一安心。この先にも案内があり左折する。
山道に入れば登山道は明確になるので迷うことは無い。足下にオドリコソウの花を眺めて歩き始める。すぐに穴の開いた場所を左に見るが、何に使用されていたのかは分からない。左下に石組みが見られるのでこの辺りを石組みにより平坦にしていたことは間違いないだろう。この先にも石組みが続き、これらは山仕事の道のためのものだろう。
周囲の植生は植林に変わり、坂の傾斜がきつくなる。小刻みに折り返しながら一気に高度を上げるのでゆっくり歩きが続く。間もなく周囲に竹林が目立つと右側に石組みが現れる。竹林を過ごすと植林の中を登ることになり、再び坂の傾斜がきつくなる。足下に苔むした石組みを眺め進んでいると、人工的に作られた石段が現れた。これは四熊神社への参道の名残かも知れない。
そのまま進むと岩が目立つ場所に着き、左側に両手で押しても指一本で押しても動くと言われる揺岩(ゆるぎ岩)を見つける。右側からは四熊方面からの登山道が合流し、わずかに進むと左に天狗岩が現れる。天狗岩は鼻高天狗さんの顔に見えるからその名があると言う。かつてはこのような案内が岩の前に置かれていたが、いまは何も無いので登山者は、岩に気づかず通り過ぎていることだろう。
更に高度を上げていると灯篭と二の鳥居の前に着く。南には樹間越しに周南コンビナートの工場地帯を眺めることができた。石段は鳥居の奥に続いているが、鳥居の右側からも石段が続いていた。なお、どちらの石段を登っても先で合流するのでこの石段は多くの参拝客が混雑せずに参拝できるようにかつては一方通行になっていたのだろう。私は登山時に右側の石段を登った。
苔むす石段の右には自然石の巨岩が続き、とても豪快な風景である。石段を登り切れば右側が平坦になっており、この上には不動明王が祀られていた。かつての案内にはこの不動明王石像について、不動尊ともいう。一切の罪陣を打破し、どんな変事にもビクともしない不動の神である。右手に剣、左手に綱を持ち安産、除災等に効ありという。と書かれていた。今はこの案内の一部が不動明王の下に置かれていた。
不動明王を過ごし岩の目立つ急登に取り付く。一気に高度を上げていると右に三の鳥居が現れる。横から見ると長い歳月により鳥居の柱が少しずれているように見えた。三の鳥居を過ぎるとこの先で中国電力の巡視路標柱に出合う。この分岐を左(南)にとれば桜や椿の咲く展望地に出るが、まずは山頂を目指して高度を上げる。
更なる展望を求めて北へ巡視路を下りJR西日本新徳山線NO.23鉄塔の下に着く。鉄塔下には名残の桜が咲いており、周囲の展望は樹間越しだが石ヶ岳、要害岳、狗留孫山は見つけることができた。
鉄塔下を出発、山頂、神社前を通過しわずかに下った所で巡視路標柱に着く。ここで右折し南を見晴らす展望地に着く。桜と椿の花咲く展望地から周南コンビナートの展望を眺め小休止を取る。ここで東を眺めると金色の観音像が立っていた。これは法師ヶ岳に立つ観音像だろう。次はこの法師ヶ岳へ向かう。
展望地を出て坂を下り一の鳥居の前に着き進路を東にとる。わずかに下ってゆくと左側に鋪装道が現れた。この鋪装道に下りて広い道を辿り高度を上げる。何も心配のいらない鋪装道を登れば間もなくフェンスの前に着いた。フェンスはチェーンで閉ざされていたがチェーンを外すと観音像の建つ広場の中に入ることができた。
この広場の中には寝仏、ガン封じ・ボケ封じ・厄除け観音なども置かれていた。慈母観音像建立記念碑には、「この法師ヶ岳山頂に慈母観音像を建立した思い、ソーラーパネル設置」などについて記されていた。慈母観音像の下へ続く階段を登ると、先ほど四熊ヶ岳の山頂先の鉄塔から眺めた以上の展望が広がっていた。石ヶ岳、要害岳、狗留孫山、白石山、大平山など時間の経つのを忘れてしまうほどの大展望が素晴らしい。
展望を肴に昼食を摂り、珈琲を飲んで慈母観音像を出発、フェンスにチェーンでロックして鋪装道を下り再び山道を引き返して一の鳥居の前に着く。これから先は元来た道を引き返し、金明水の水汲み場に帰り着いた。金明水を頂くととても美味しかった。わざわざこの場所まで水を汲みに来る理由が分かるような気がした。
前の山 平家ヶ岳 を見る
次の山 若山城跡 を見る