松岳山(まつたけさん)山口県山陽小野田市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トップに戻る 2013年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順 2013年1月26日 参道入口 →0:05→ 正福寺本堂 →0:15→ 山頂(八大龍王) →0:12→ 参道入口 全歩行時間 0時間32分 松岳山 厚狭の三条山の登山口を出発、次は厚狭の松岳山へ向かう。JR厚狭駅前を起点とすれば、県道233号を西へ向かう。駅前から850m進んだ下村交差点を右折し、すぐに現れる変則四差路は北へ続く道を採る。
この交差点から北へ約500m進むと、お大師さんの祀られた三叉路に着く。この分岐を左折し、道なりに進むとY字の分岐へ着く。ここで松岳山正法寺の案内に従い、分岐を右折する。
周囲に注意しながら進むと、道の側に灯籠、丁塚、お大師様等を過ごし、やがて林道松岳畑線に入る。
更に道なりに進み、三神社を左に過ごすと松岳山正法寺の参道入口へ到着する。参道入口に置かれた案内図を確認、この正法寺は今から千年以上前に花山法王により開創されたと伝えられる古刹である。
松岳山正法寺の歴史によれば、花山法王西国巡拝の折、小野田の谷山岬にて、遙かに松岳山上に瑞雲を見て、ここぞ正法興隆の地と定められ、自ら一刀三礼の十一面観音の尊像(50年に1度開扉の秘仏)を刻んで祀られたと伝えられれる。 昔は本坊を中心に西ノ坊、東ノ坊、下ノ坊等12坊が建ちならび、寺僧百十数人の7梵唄のひびきが朝な夕なに、全山にこだまして、鎮護国家、五穀成就の礼願が行われた。 源平の兵乱の時、平家を追う源氏の一団が乱入して一山は灰燼に帰したが、間もなく再建された。現存の本堂はその時のもので、大柱の根本には運搬の時の綱の跡がのこっている。尚現在、県の重要文化財に指定されている撞鐘は、厚東武貞が九州出陣の際(天正18年)戦勝を祈って寄進したものである。 鎌倉幕府、厚東、大内、毛利氏の専信の保護の下、大に興隆して、長門三山の一に数えられた。現在でも遠近より参拝者多く、展望台よりの眺めは優美で、夜景も又捨てがたい情趣にとんでいるとのことである。
さて、大きな石碑を眺めて立派な参道に入る。参道途中には休憩用のベンチも置かれ、とても参拝者に配慮されている。やがて右にトイレを過ごせば、正法寺の本堂へ到着、境内には願掛不動明王が建立されている。
正法寺へ参拝し、お寺の右側から続く階段へ向かう。(なお、本堂の左からもこの上へ向かうことができる。)石段を登り、背後を振り返れば、山陽小野田市の街並みが広がり、海の手前には竜王山を見晴らす。 背後に広がる山陽小野田市の風景 竜王山の左側に見えている長い山脈が霜降岳だとすれば、その先に霞んだ山は日の山かもしれない。いずれにしてもこの付近は絶好の展望地である。
もう少し階段を登ると 、右に山口県文化財に指定されている鐘楼を見る。この鐘楼は、厚東氏17代の武貞が1363年に九州の菊池氏を討つため、戦勝祈願をした際、寄進したものである。
鐘楼を過ごせば平坦な広場へ着き、中央付近には百度石が置かれている。百度石の横には石垣が組まれ、一段高くなっているので、昔お堂が建っていたのかも知れない。奥に祀られた弁財天へ参拝して周辺散策は終了。
石段を登って一段高い場所に祀られている熊野権現社へ向かう。松岳山へは熊野権現社の前を通り、右側に建立されている八大龍王と山頂300mの板碑を眺めて登山道に入る。
周囲は自然林に覆われ、大岩も目立つのでとても神聖な場所に思える。少しの坂を登れば平坦な尾根道となり、前方に石灯籠が見えてくると、すぐに松岳山の山頂に祀られた八大龍王の前に着く。
松岳山の山頂に祀られた八大龍王と三角点 手前には三角点が置かれているが、一部が書けているため何等なのか不明である。八大龍王へお参りし、石祠に刻まれた文字を眺めると、八大龍王、風雨和順、五穀成就、諸人快楽と刻ませていることが分かった。
松岳山山頂の八大龍王と周囲の風景 祠前から周囲を見回すが、木々の背が高く展望を得ることはできない。祠の先にも平坦な尾根道は続いているが、やはり展望を得ることはできなかった。山頂を出発し、再び熊野権現社まで戻り。周辺を散策した後、正法寺へ下る。 眼下に広がる展望はやはり素晴らしく、手軽にこの展望を眺めることのできる松岳山は名山である。 山陽小野田市の風景 松岳山山頂の八大龍王
登山口周辺の地図はこちら 山口県山陽小野田市 松岳山 登山口付近のMAP |