大満寺山(だいまんじさん) 島根県隠岐の島町

2023年6月6日 大満寺山・鷺ヶ峯 乳房杉コースを見る

大満寺山

一の坂橋 →0:30→ 沢 →0:10→ 大満寺 →0:20→ 布施分岐

 →0:20→ 大満寺山山頂 →0:25→ 大満寺 →0:25→ 一の坂橋

全歩行時間 2時間10分

 

 隠岐の島の位置について

 隠岐諸島は島根半島の北東65km〜80kmに位置しており、島後水道を境に南側を島前(どうぜん)、北側を島後(どうご)と呼んでいる。島前は知夫里島(知夫村)、中ノ島(海士町)、西ノ島(西ノ島町)の三島で構成され、一つの島で一町村となっている。島後は平成の大合併により隠岐の島町に統一されている。

2008年5月31日

今回の隠岐行きは突然決定した。前々日の昼に思い立ち、ホテル・レンタカーの確認をすると思い通りの場所と時間が空いていた。梅雨入り前の晴れ間はこの土曜・日曜・月曜しかない。早速ホテルとレンタカーを予約し、計画を実行に移す。翌土曜日は実家での恒例の田植え、朝の7時過ぎから田植えの手伝いを始め、午前11時前に予定通り田植えが終了した。

 午後3時過ぎに柳井を出発、玖珂インターから高速を走り三次インターで下りる。三次からは国道54号線を進み松江に到着、ガソリンを注ごうとすると明日からリッター当たり10円以上値上がりするのでガソリンスタンドは大賑わいだ。ガソリンを注ぐと280kmを11リッターで走っており、なんと驚異的な燃費だった。

 松江を通過し七類港に向かって国道431号を東に進む。七類港に着くと駐車場には既に沢山の車が駐車している。多分今日隠岐に向けて沢山の人たちが出港したのだろう。適当な場所に車を入れ、テレビを見ながら美味しいビールを飲み始める。七類港まで柳井からだと丁度5時間掛かった。本日はゆっくりと就寝。

平成20年6月1日

 朝6時に起床、七類港の周囲を散策すると、本日乗船する「フェリーおき」はフェリーターミナルの前に停泊していた。乗船券は午前8時から販売されるのでその前に荷物を持ってターミナルに移動、乗船名簿に所定の事項を記入し、2840円を支払って2等乗船券を購入した。(20年7月より運賃は値上げ予定)

七類港フェリーターミナル フェリーおき

 午前8時半から乗船開始、列の後ろに並んでエスカレーターに乗って2階に行き、乗船口よりフェリーに入った。乗船時に乗船券を見せると表に隠岐汽船のスタンプを押して返してくれた。荷物を広い客室に置き甲板に出ると、沢山の椅子が設置してあり、一番前の椅子が空いていたのでここに座る事にした。

隠岐への切符 七類港を出発

 周囲は少し霞んでいるがまずまずの天気、暑い日射しを感じながら出港を待つ。間もなく午前9時になり、フェリーおきは出港を開始、左手に広がるリアス式海岸の風景はとても美しい。丁度13年前の6月1日に眺めた景色が蘇ってきた。最初から感動的な風景を眺めながらいざ隠岐へ。

リアス式海岸を眺めながら隠岐へ向かう

 南には大山が遠く霞んでおり、間もなく見えなくなった。この時から約2時間半海を眺めながら椅子に座っていたが、それはあっという間の時間だった。

フェリーおきに乗り七類港を出発、隠岐の島へ向かう(動画)

隠岐の島が見えてきた 岩場には釣り人

 午前11時を過ぎると北に陸地が見えてきた。海に浮かぶ小さな岩場の上には沢山の釣人が見えている。隠岐まで釣りに来る人はとても多く、今日も釣竿とクーラーを持って乗船する釣人を沢山見かけた。11時25分にフェリーはおき西郷港に到着、レンタカーを借りるため「おき西郷港フェリーターミナル」前の指示された場所に行き、レンタカーの手続きを終了、いよいよ今回の旅の第一目的である隠岐最高峰の大満寺山に向かう。

おき西郷港に入港 西郷港から眺める大満寺山

フェリーから眺める大満寺山 おき西郷港フェリーターミナル

 港の前を出発、左手に西郷港を眺めながら県道を道なりに右へカーブすると、日の出トンネルをくぐり、その先の交差点を左折し県道323号に入る。交差点から5分程度進むと右手に大満寺山登山道4kmの標識が見えてくるのでこの分岐を右折する。

大満寺山登山道4kmの標識に従い右折する

 この先は左手に有木(あらき)川を見ながら進んで行く。右手に有木神社の大鳥居を過ごし、なおも進んで行くと有木川に架かる大山橋を渡る。橋を渡ると同時に正面には「朝日砕石入口」の看板、橋の右手には大満寺山登山口3kmの標識が立っている。斜め右手には大山神社の鳥居と祠が見えたので登山の無事をお願いし参拝、舗装された有木林道を進んで行く。

右手に有木神社への石段を過ごす 大山橋を渡り舗装された有木林道を進む
大山神社に参拝 有木林道

 右手に見える川が綺麗なので車を停めて眺める。周囲には美しい景色が広がっているのでゆっくりと進む。登山道まで1.5km標識を過ごすと堰堤の先に架かる一の坂橋に着いた。橋の上から遠くに目指す大満寺山が見えている。

綺麗な川を眺める 登山道まで1.5km標識を過ごす
参道コース登山口の一の坂橋 一の坂橋から眺める大満寺山

 この一の坂橋を渡りきった右手が大満寺山登山口(参道コース)で、目印の石仏が鎮座しているのだが・・・・・、山頂方向が分かった事で舞い上がっており、登山口に気付かずそのまま林道の奥まで進んでしまった。すぐに真谷橋を渡ると広場のようになっており、この先の林道は荒れている。そのまま車で行くのは不安なのでこの広場に車を置いて出発する。

真谷橋先の広場に車を置き出発 左手に滝を過ごす
滝を観賞する 林道を進む

 周囲に美しい滝を眺めながら荒れた林道を進んで行くと、広場を出発して10分で自然観察モデルコースbP9の標識が立つ広場に到着した。この先は沢歩きのコースみたいだ。あれ・・・・・!、これは参道コースではない。しまった、参道コースの登山口を見落として、遠回りをしたようだ。

自然観察モデルコースbP9の標識が立つ広場に到着 広場の先は沢

 これは大変、大幅な時間のロスだ。高速船レインボーへの乗船時間18時08分が頭をよぎる。時刻は12時35分、 車の返却予定時刻まで残り5時間、隠岐の島滞在予定時間6時間の内1時間が過ぎてしまった。駆け足で車を置いた場所まで戻り、登山口の一の坂橋に着いた。橋のたもとに車を置き、三体並んだ石仏にご挨拶、真ん中の石仏の横には大満寺道と彫られていた。

一の坂橋の下には堰堤が見える 参道コース入口の石仏

 石仏を過ごすと右手にコンクリートの階段道があり、登山口の標識はないがこれが大満寺への参道と確信して登って行く。いきなり急な坂道を登って行く事になるが、標高差約500mを登るのだから当然坂はきつい。すぐに道案内の石仏を二体過ごし新緑の自然林の下を進んで行く。

石仏先の階段道を登る 道案内の石仏を過ごす

 梅雨前の晴れ間なので日射しも緩く、風が爽やかで心地よい。自然観察モデルコースbRの石仏を一体過ごすと少し平坦道となり安心する。杉の植林帯を過ごすとモデルコースbSの石仏を一体右に見る。周囲には樹林の説明板が設置されており、自然と触れあうためには丁度良い環境だ。

自然観察モデルコースbRの標識と石仏

木漏れ日の参道 樹木の説明板が設置されている

 大きな木の下にbTの石仏を二体過ごすと左手には美しい植林帯が広がり、木漏れ日の下を進む幸せをかみしめる。美しい緑のシャワーを浴びながら更に進むとbUの石仏を二体右手に見る。この先から少し坂の傾斜が緩み一安心、左手にbVの石仏を四体過ごす。相変わらず周囲に展望は広がらないが新緑が美しく、このグリーンの景色を眺めているだけで幸せな気持ちになれる。

大きな木の下にはbTの石仏 新緑の美しい参道コース

 平坦路を進むとbWの石仏を三体右手に過ごす。左手にbXの石仏一体、その先では右手にbP0の石仏三体と道案内が忙しい。ほとんど2分から3分間隔で道案内の石仏が続いているようだ。でもとても励みになる。bP1ではほとんど完全な形の石仏三体を見る事が出来た。これまで首がなかったり途中で折れていたりで受難の石仏ばかりを見ていたような気がする。

bP0の石仏と参道 完全な形のbP1石仏

 この先で標識のない石仏一体を過ごし少し進むと目の前には展望が開け、大満寺山方面を眺める事が出来た。ああ、もう少しであの上に立つ事が出来る。登山道は分かり易く石仏が導いてくれるので安心だ。足元を見ると白い百合が咲いており、少し周囲を眺める余裕が出来た気がする。

展望地から大満寺山方面を眺める 展望地に咲く百合

 展望の開けた場所から登山道は少し下り、右手にbP2の石仏二体を過ごし山腹につけられた細い道を下る。間もなく小さな沢を越えると右手の木の下にbP3の石仏三体を見る。この先からは植林帯の中を進む事になり、左に木屋与五郎と書かれた石仏一体を見る。

沢を渡る 木の下にはbP3の石仏
植林帯を進む 周囲が明るくなる

 更に進むと左方面の展望が広がる場所に着くので久し振りの展望を眺める。但し、展望と行っても向かいの山が見える程度だが、緑の美しい季節にはこれだけで充分嬉しい。大きな岩を践み越えると右手に石仏一体を過ごし、足下に咲くサツキを眺めながら進むと正面に大満寺が見えてきた。

久し振りの展望地 岩を踏み越えて行く
遠くに大満寺が見えてきた 菖蒲

 大満寺の周囲には石垣が渡してあり、往事の勢いを感じる事が出来る。菖蒲を観賞しながら進むと左下に向かう道を見つけたので下りて行くと、祠2基の間に岩が置かれており、その奥にも祠が設置されている。周囲に説明板などは無いが、歴史ある建造物なのだろう。この付近から山頂方面を見晴らす事が出来るので、昔は山頂にあった奥の院を眺める場所だったのだろうかと想像してしまった。

大満寺の手前にある祠に参拝

奥の祠 大満寺山を眺める

 さあ、元の道に戻ろう。道の真ん中に立つ岩を過ごし石段を登ると鐘楼堂の袂から勢い良く水が吹き出ていた。これが川から引かれている水のようだ。正面の大満寺を見る。屋根の一部に穴が空いているが、とても由緒ある建物のようだ。ただし、今は荒れており、ブルーシートがかけてある。

由緒ある石段を登る 鐘楼堂
大満寺 最後の石仏

 摩尼山大満寺について

 昔、西郷町大久の伊浜に伊重という網元が住んでいて、大久湾の津ノ目島沖合で網を引いていると一寸八分の光る十一面観音像が掛かった。伊重は仏像にうっかり触るとたたりがあると思い海の中に捨てたが、翌日伊重が網を引いているとまた同じ仏像が網に掛かった。そしてこのような事が七回続いたので伊重は観音像が陸に上がりたいのだろうと推測し、この仏像を持ち帰って丁重に祀っておいた。するとこの観音様には夜ごとに八大竜王が火の玉を掲げてお参りするという噂が立ったので、伊重は大満寺山の北東に面した高い場所にお堂を造って移しかえたそうだ。

 そのころ西郷町港町の国府尾に、守護の佐々木氏が甲尾城を築いた。佐々木氏はこの観音像の霊験を聞き、城の鬼門を封じるため大満寺山の南の頂上近くに新しく寺を建てて祀った。これが居城鎮守の霊場である摩尼山大満寺の始まりとの事である。

 6代目の和尚のとき、寺は火災に遭って全焼したが小さな観音像は焼け跡から100m下にあった銀杏の木の根元に自ら避難していた。これはこの辺りに観音像が移りたいというお知らせだろうという事になり、焼け跡の元の場所から現在地に大満寺を再建したそうだ。(以上野津 龍著、隠岐島の伝説より)

大満寺境内(動画)

 左手には道案内の最後の石仏が立っており、右手にはお寺で保存されていた石仏を安置するための小屋が建っている。大満寺山散策を充分楽しんだのでいよいよ山頂に向かって出発する。

石仏が安置されている

大満寺に向かって右手に山頂への道が続いている 左手斜面の石仏

 大満寺に向かって右手に山頂への道が続いており、左手斜面には沢山の石仏が安置してある。そのまま登山道を進むと左手には歴代住職の墓と思われる場所を過ごし、植林帯の中に入る。この先からはすぐに急な斜面となり、登るスピードが遅くなる。

歴代住職の墓所? 石垣に立つ杉の木

 左手に石垣の荒れた跡に立つ杉の木を眺め、斜面を更に登って行くと周囲にエンレイソウ(延齢草)を沢山見る事が出来た。この花は今年になって初めて見たような気がする。足下は滑りやすいので慎重に進んで行くと植林帯を抜け、山腹につけられた細い道を進むと道の真ん中に岩の立つ滑りそうな場所に着いた。ここにはロープが渡してあり、ロープを掴む事により難なくこの場所を通過、間もなく反対側の布施地区からの道と合流するが案内標識はなく、赤い鳥獣保護区の標識が立っているだけである。

エンレイソウ(延齢草) 滑りやすい斜面を進む
ロープの渡された場所を進む 布施地区からの登山道と合流

 この分岐は尾根に向かって左(西)に向かい、美しい緑の中を進んで行く。周囲に展望はないものの、足下に咲く花を眺めながら進んでいると分岐から8分でロープの渡された場所に到着した。右に左にと親切に渡されたロープを伝って一気に高度を上げていると足下には大小様々な岩が増えてきた。

尾根道を進む 足下には花を見る
ロープの渡された急斜面を登る 岩が増えてきた

 岩に躓かないよう自然林の下を慎重に登って行くと美しい枝振りをした大きな枯木の下に着いた。この枯木は後ほど重要な意味を持つ枯木となる。足下にはサツキの花が満開であり、久し振りの花を観賞する。この付近はほとんど平坦路なので足に負荷は掛からないが、なにせ足下には大小の岩が点在し、中には不安定な岩もあるのでますます足下には細心の注意が必要だ。

美しい枝振りの枯木 足下には大小の岩が点在

 周囲の展望は布施方面側に向かって少し開けているが、西郷方面は樹林に阻まれて見晴らす事は出来ない。足下に枯木の一部が落ちていたので上を見上げると今度は枝の落ちた枯木が立っていた。つまり手前(東側)は枝の張った枯木、その先(西側)は枝の落ちた枯木の順番である。

足下に枯枝が落ちている 枝の落ちた枯木

 周囲には白いムシカリ(オオカメノキ)が満開、今年初めて眺めるこの美しい花を隠岐の島で見るとは。木に巻き付いたように見える花を右に見送りいよいよ山頂への道を進む。前方には少し草が茂り、足下の岩を目印に進んで行くと、突然南側に視界が開けた。

ムシカリ(オオカメノキ) 岩を踏みながら山頂を目指す

  隠岐最高峰 大満寺山の山頂に到着(動画)

 眼下に見えているのは西郷港、とうとう隠岐最高峰、中国百名山の一つ大満寺山に到着した。山頂には昭和60年4月、隠岐水産高校の創立80周年を記念して設置された方位盤が置かれており、隠岐の地名は当然の事、ローマ・モスクワ・アンカレッジ・シドニーなど外国の地名も刻まれている。

大満寺山山頂の方位盤

山頂からの展望

 双眼鏡を取り出し、山頂からの展望を眺める。西郷港にはフェリーが浮かび、その先には隠岐空港が見えている。眼下には緑が美しく、見えているのは南側の周囲約90度の展望だが、標高600m付近の展望としては充分に満足出来るものである。

西郷港と隠岐空港 西郷港にはフェリーが浮かんでいる

 山頂から更に奥に向かうと、岩の道が続いているが、展望を得る事は出来なかった。さて、時刻は午後3時前・・・車の返却時間までは残り2時間半、展望にも満足したので山頂を出発する事にした。

大満寺山三角点 山頂下の展望

 少し下りるとムシカリの群生地と特徴的な枯木を過ごす、枯木の横には木に巻き付き、大きな木に見える蔓のようなものを眺める。更に枝の張った枯木を過ごし、足下に注意しながら急な坂を下りて行く。やはりロープが渡されているのでとても助かる。

枯木の横に大きな木のようなものを見る

布施方面の展望 足下の岩に注意しながら下りる

 慎重に・・・しかも急いで下山を続け、山頂から25分で大満寺に到着、右手にも下山道が続いているが、安全策を採り来た道をそのまま下山する事にした。途中の水場では顔を洗い、さっぱりした気持ちでどんどん下りて行く。下山は早く、大満寺から25分で登山口の一の坂橋に到着、無事大満寺山への登山を終了した。

一の坂橋から山頂を振り返る 双眼鏡で眺めると枯木が見える

 一の坂橋から大満寺山頂を眺める。右手(東側)には山頂手前で見た枝振りの良い枯木、左(西側)には枝の落ちた枯木が並んでいる。この2本の木は遠くからでも大満寺山の山頂を識別する目印であり、この山に登った者でないとこの位置関係は分からないだろう。山頂の2本の枯れ木の存在を知った事が今回一番の収穫かもしれない。

 

 時刻は午後4時前、残り少ない時間を使って島内観光をする。一の坂橋を出発し有木川を下って県道323号に戻る。隠岐国分寺1kmの標識に従いT字路を右折、少し進むと後醍醐天皇行在所のある隠岐国分寺に到着した。

隠岐国分寺

 昨年、平成19年2月25日午後3時30分、国分寺本堂が突然出火炎上し貴重な建物や拝観展示物の全てを焼失してしまったそうだ。今年(平成20年)5月にNHKで放映された、国指定重要無形民俗文化財蓮華会舞(れんげえまい)復興のドキュメンタリー番組を見て感動、この場所には隠岐に着いたら必ず訪れようと思っていた。

 たった一人で蓮華会舞のお面を全て彫った蓮華会舞保存会の会長村上氏、そして復活奉納公演まで残り1週間前に亡くなった会長の遺志を受け継ぐ若者たち、感動の舞台を思い出しながら本堂跡を眺める。実際の現場に立つとその時の無念さと感激とを味わう事ができた。なお、現在本堂跡は本堂再建の地となり、広く浄財を募っている。

隠岐国分寺本堂跡(本堂再建之地)

 国分寺の奥には後醍醐天皇行在所址があり、説明板には次のように記載してある。

 天平年間聖武天皇の詔勅により建立せらる 元弘二年四月御到着より三年閏二月御還幸に至るまで凡一ヶ年後醍醐天皇の行在所にして其の間護良親王とも連絡せられて中興の偉業を盡し給ひたる處なり

 国分寺の横にある隠岐モーモードームまで歩き説明板を眺める。牛突きの行事は承久の変(1221年)で隠岐に配流になられた後鳥羽上皇が、島前の中ノ島(海士町)の牧畑で子牛が角をからませて戯れているのをご覧になって大層お喜びになられた。そのことを知った里人が、上皇の御心をお慰めしようと、強そうな牛を集めて闘わせ、ご覧に入れたことが隠岐の牛突きの始まりと言われており、西郷町の無形文化財に指定されているそうだ。

後醍醐天皇行在所址 隠岐モーモードーム

 国分寺を出発し、次は玉若酢命(たまわかすみこと)神社に向かう。元来た道を引き返し、隠岐高校の横を抜けて西郷港方面に戻るとすぐに標識に導かれて神社に向かう。少し遠回りをしたようだが、赤い西郷大橋を左手に過ごした先に玉若酢命神社を見つけた。

国指定の重要文化財随神門 樹齢千数百年と言われる八百杉

 国指定の重要文化財随神門(造営1852年)を潜ると樹齢千数百年と言われる八百杉(やおすぎ)が右手に現れる。

 八百杉について

 昔、若狭(福井県)の国から人魚の肉を食べたという比丘尼(びくに)がやってきて、この神社に参拝し、後代の形見にと杉を植え、「八百年経ったらまたここに来よう」と言ったので、世に八百比丘尼(やおびくに)といわれたが、杉の方もいつしか「八百杉」というようになった。

 いつのころかこの「八百杉」の根元の洞穴に小さな蛇が棲みついた。あたかも杉の主のごとく穴の中でいつもとぐろを巻いていたので、体が大きくなり、洞穴の口にも苔が生えて出られなくなった。今でも風の少ない暖かな日には、木の中から大蛇の大いびきが聞こえてくる。そばに足音がするとそれが止むともいわれている。(野津 龍著、隠岐島の伝説より)

玉若酢命神社と八百杉(動画)

 間近に八百杉を眺めるとその大きさにびっくり、13年経ってますます幹周りが大きくなったようだ。いよいよ玉若酢命神社に参拝する。この本殿の造営は1793年、当然国指定の重要文化財だ。お賽銭を入れておみくじを引いてみる。なんと今回も大吉だ。13年前やはりこの神社でおみくじを引いており、次に海士町(中ノ島)の隠岐神社でのおみくじも大吉、前回の2回とも大吉を引いており、これで3回連続の大吉、13年前の日記では隠岐は最高と結んでいた。今回もそう思う。

玉若酢命神社 神社から眺める八百杉

 敷地内には1866年造営の旧拝殿も建ち、やはりこの建物も国指定の重要文化財である。周囲を散策し、最後に立派な八百杉を眺めた後玉若酢命神社を出発する。港に帰る途中、右手に架かる美しいローゼ橋の西郷大橋を渡ってみる。渡った先から大橋を振り返ると右手には先程まで居た大満寺山が遠くに見えている。やはり山頂の枯木はしっかりと識別する事が出来た。

美しいローゼ橋の西郷大橋 西郷大橋から眺める大満寺山

 時刻は午後5時を過ぎ、そろそろレンタカーを返す時刻が迫ってきた。ガソリンスタンドに行き燃料を満タンにする。やはり大して走っておらず、700円程度を支払ったが隠岐ではレギュラーガソリン1リッターが185円、今日からガソリンの価格が値上がりした事を思い出した。

 すぐに車を返却し港まで送ってもらった。西郷港の周囲を散策し、乗船券売場で高速船レインボーの乗船券を2550円で購入し、港で待っていると凄いスピードで高速船が港に入ってきた。

高速船レインボー号 レインボー号から島後の景色を眺める

 高速船に乗り込み2階席に座ると間もなく西郷港を出港、みるみるスピードが上がって行く。右手に島後の景色を眺めながら移り行く展望を楽しんでいると左手には島前の島が見えてきた。中ノ島の海士町菱浦港に入港し、すぐに出港した先は西ノ島の別府港だ。

中ノ島の海士町菱浦港 別府港フェリーターミナル

 宿泊先の国賀荘に連絡し、迎えが出来るかを聞くと10分程度で迎えに来るとの事。やはりおみくじの効果は絶大である。港を散策しているとまもなく国賀荘からの迎えの車が到着、景色の良い高台に着いた。

 「ここ(国賀荘)からは景色が良いでしょうね」と聞くと「お客さんの部屋は一番良いところです」との答えが帰ってきた。宿泊手続きをして307号室に入るとなんとガラス張りのオーシャンビュー、素晴らしい展望の広がる部屋だった。しばらく周囲の景色を眺めた後、夕食の用意されている中広間に向かう。

宿泊先の国賀荘 ガラス張りのオーシャンビュー

 部屋番号の書かれたテーブルに座ると沢山の料理が並んでいる。これは食べきれるだろうか。でも嬉しくてワクワク。岩ガキ・ズワイガニ・豚シャブサラダ・刺身6点盛り合わせ・モズク・鍋の煮物・天ぷら・揚げ出しの餅・ハマチの煮付け・茶碗蒸し・茶そば・サザエとエビの焼き物・イカの塩辛の付きだし・デザートのメロンとパイナップル・最後に漬け物と全部で15品。

部屋の眼下には美しい港 豪華夕食

 食事を豪華にしすぎてしまったみたいだが、どの料理も絶品、ビールを飲みながら漬け物以外は全て完食した。おなかがパンパンになったので階段を下りて浦郷の港を散策、併せて明日借りるレンタカーの下見をした。港の街灯が美しく、何時までも海を眺めていたい気持ちになる。

浦郷港の夜景 展望大浴場

 国賀荘に帰り一日の汗を流しに展望大浴場へ。貸し切り状態の浴室でゆっくりくつろぐ。今日一日良く歩いた、また明日も沢山の感動と巡り会える事を期待しよう。部屋に戻って周囲の展望を眺めながらビールを飲む、まだ飲めるようだ。明日の天気が晴れる事を祈りながら就寝した。

隠岐の島

釣人

西郷港

有木川の滝

大満寺山沢コース

大満寺山参道コース入口の石仏

新緑の参道

大満寺山

鐘楼堂

大満寺

大満寺の石仏

ムシカリ

枯木

大満寺山山頂

山頂からの展望

山頂の枯木

隠岐国分寺本堂跡と後醍醐天皇行在所址

玉若酢命神社本堂

八百杉

;高速船レインボー号

 

 前の山 赤子山 を見る

 次の 焼火山 を見る

歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 島根県隠岐郡隠岐の島町 大満寺山 登山口付近のMAP

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