小野篁ゆかりの篁山竹林寺 広島県東広島市河内町の入野(にゅうの)、小野篁誕生の地、篁山竹林寺です。 小野篁の生母八千代の像 昔、この山の麓に八千代という女性がおりました。八千代は、常に竹林寺のご本尊を信仰し、千日の参詣を続けていましたが、満願の日の夜半、お堂の中から童子が現れ五色の玉を彼女に授けました。 篁山竹林寺山門 竹林寺は標高535mの篁山の山頂付近にある真言宗の寺院で、本尊は千手観音です。本堂(国重文)、仁王門、十王堂(町重文)やその他の諸堂があった由緒ある寺院の面影を残しています。 八千代橋 国重文 竹林寺本堂・厨子 本堂は今から約500年前、室町時代に地元入野や高屋の大工によって建てられたと言われています。昭和62年〜平成元年に解体修理が行われ、創建当時のこけら葺によみがえり、周囲を囲む大自然に溶け込み、天平のロマンを漂わせています。また、国の重要文化財に指定されています。 護摩堂 十王堂 生まれ変わった篁が僧となって彫り上げたと伝えられる地蔵十王像はここに納められています。 本堂 竹林寺境内
竹林寺境内(動画)
竹林寺参道途中の姫路滝(動画) ついでに・・・篁が配流された隠岐海士町の金光寺を紹介しておきます。 隠岐海士町の金光寺 その後小野篁は承和5年(838)副遣唐使に任じられましたが、大使の藤原常嗣と船のことで争い、嵯峨天皇の逆鱗にふれ隠岐へ配流の身となった。百人一首にも詠まれている歌に 「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出ぬと 人には告げよ 海人の釣船」 篁が美保関出航のときに詠んだそうです。 隠岐海士町の金光寺参道 平安の盛世にあって、詩文に名ある多士済々の中でその才学一世に秀で僧空海と共に当代二絶と称せられ、また身丈六尺二寸の偉丈夫で容姿態度ともに優れ、一流の文化人でした。
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