山(ちゅうやま)島根県松江市美保関町

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2013年4月27日

峠 →0:20→ 山頂 →0:12→ 峠

全歩行時間 0時間32分

登山行程図(地図をクリックすると拡大)

 島根県の山歩き、島根県へ通い始めて久しいが、登山対象の山が登るたびに少なくなっている。今回は松江北山で最後に登り残している忠山へ向かう。この忠山の峠の登山口へ向かうため、登山の起点を島根県松江市野原町、弁慶伝説の残る道の駅本庄とすれば、道の駅の前を走る国道431号を東へ進む。

忠山へ向かって国道を左折 麓から眺める忠山

 道の駅から約2km進むと長海町に着く。ここで左への分岐を確認し、国道を左折すると、正面にアンテナを頂いた忠山が見えてくる。そのまま主路を進むと登山口の峠へ到着、作業道の入口には「NTT忠山無線中継所」の案内が置かれている。時刻は丁度午後6時、舗装道歩きなのでヘッドライトを用意して登ることにした。

峠が登山口 作業道から眺める大根島

 入口の注意書きには「この先土砂崩れあり 通行注意」と書いてある。従って、車でアンテナまで乗り入れることもできるようだが、本日は山歩き。地道に歩くことにする。前方にアンテナを眺めながら登山開始。アスファルト舗装の作業道歩きが始まる。足下に野いちごの花を眺めていたら、南の宍道湖中海には大根島が浮かんでいる。

春の花を観賞

 この大根島は島根県に属しており、注意して海岸線を眺めていたら、美保関中学校付近から大根島へ向かって道が続いていることに気づいた。大根島からは西に大海崎町、北に美保関町、東に鳥取県境港市とつながっているようだ。単調な作業道歩きだが、春の花を眺めながらのんびり歩き。この山が本日最後の山になるのは間違いないので焦ることはない。

三坂山 枕木山系の山々

 シャガやヤマアジサイ、三つ葉ツツジなどが花盛りの作業道歩きは悪くない。頭上にそびえるアンテナを眺め、西には枕木山、三坂山等の山脈が広がる。何も心配のない作業道歩きの先にはNTT忠山中継所のアンテナがそびえていた。

忠山山頂のアンテナ アンテナ施設の左側より山頂へ

 これが山頂と思い、北の展望を得るため、アンテナ施設の左側を進むと、折り返すように左上へ階段が続いていた。そこでこの階段を登ると一段高い場所に着き、ここには三等三角点と石碑が建立されていた。この地点が忠山の山頂で、この石碑には「南無妙法蓮華教 山中鹿之助一族之塔」と彫られている。

菅浦湾 忠山山頂

 山陰の麒麟児山中鹿之助は、毛利氏に敗れた尼子氏再興のため、「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話はよく知られている。なお、この三日月が架かった山は、現在の安来市三笠山と言われており、私はすでに登っている。

忠山の山頂風景

 さて、鹿之助は永禄11年(1568年)、尼子氏を再興するため、京都で僧籍にあった尼子誠久の遺児、勝久を還俗させて擁立。尼子遺臣団は但馬国を経由して隠岐島へ渡り、隠岐国の豪族・隠岐為清の協力を得て、島根半島千酌湾に入り、永禄12年(1569年)当地忠山を攻略した。なお、忠山占領後、出雲の尼子遺臣の勢力を吸収し、新山(真山)城を攻略してここに本営を設置した。

山頂とアンテナ施設 千酌湾

 三角点付近から少し北へ移動し、眼下に広がる風景を眺める。夕闇迫る日本海は、昼間とは違った趣があり、美保関町千酌(ちくみ)地区の千酌湾から北浦地区へ続く海岸線と島々が美しい。また、北浦地区には三角錐の小山がりりしく、菅浦湾も美しい。展望広がる忠山で小休止の後、下山を開始。忠山は簡単に登れて展望も美しい、山中鹿之助由来の名山である。

 楽しい登山の後、島根県には沢山の名湯が待っている。今回は玉造温泉の日帰り入浴施設のゆーゆでのんびり汗を流すことにする。

忠山

山頂風景

菅浦湾

千酌湾

三角点と山中鹿之助一族之塔

 前の山 三坂山・澄水山・滝空山 を見る

 次の山 鞍掛山(出雲市) を見る

歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 島根県松江市美保関町 忠山 登山口付近のMAP

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