津和野城跡(つわのじょうあと)島根県津和野町

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2012年11月18日

鷲原八幡宮 →0:15→ 中荒城跡分岐 →0:10→ (中荒城跡往復+散策)

 →0:25→ 津和野城跡(三十間台) →0:10→ 出丸分岐(リフト分岐)

 →0:10→ 太鼓谷稲成神社 →0:15→ 西周旧宅 →0:20→ 鷲原八幡宮

全歩行時間 1時間45分

 島根県津和野町の中国自然歩道津和野コース散策、青野山登山の次は津和野城跡へ向かう。

 津和野城は、関ヶ原合戦(1600年)の戦功により、津和野藩主として入部した坂崎出羽守が、山頂に高い石垣を積んで築いた近世山城である。坂崎氏は有名な千姫事件により1616年に断絶となり、亀井家二代亀井政矩が津和野の藩主として入城。

 それから約250年間、亀井氏が11代にわたり居城とした。その後、1873年(明治6年)の「城郭存廃決定(廃城令)」によって建物は解体されたが、急峻な山頂に築かれた豪壮な石垣が当時を偲ばせる。(津和野城跡の案内による)

 登山口は流鏑馬(やぶさめ)で有名な鷲原八幡宮か日本五稲荷の太鼓谷稲成神社が一般的であり、今回は鷲原八幡宮を登山口とする。なお、太鼓谷稲成神社は、全国で唯一「いなり」を「稲成」と表記するそうだ。

登山の起点はJR津和野駅 太鼓谷稲成神社方面へ右折

 登山の起点をJR山口線の津和野駅とすれば、駅前から県道13号を南下する。右に太鼓谷稲成神社への参道を過ごし、津和野川に架かる橋を渡る。更に200mでJR山口線の高架を頭上に過ごし、次の分岐は太鼓谷稲成神社方面へ右折する。

駐車地は鷲原橋の手前 流鏑馬の馬場(説明は写真をクリック)

 この先道なりに、南西へ向かって県道13号を進めば、やがて鷲原八幡宮前へ到着する。ここで駐車場を探すと、八幡宮前の津和野川に掛かる鷲原橋の先、左側に数台の駐車地を見つけた。鷲原橋から津和野城跡へ続く尾根を眺めると、日差しを浴びて明るい。

鷲原八幡宮の大鳥居

境内の紅葉

 鷲原橋を渡り八幡宮へ向かう。八幡宮の入口から津和野城跡へは1.1kmと案内されており、ほんのわずかな距離である。境内の紅葉は丁度盛りを迎えており、美しい風景に思わず足が止まる。

紅葉を眺めて中国自然歩道に入る

 石の鳥居を潜って鷲原八幡宮へ進むと、前方に見える朱の鳥居上には、鷲原八幡宮の大杉が高くそびえている。この杉は樹齢1000年、幹周8.7m、樹高40mと案内される立派な杉である。周囲に広がる紅葉を眺めながら八幡宮へ参拝、津和野城・リフト・稲成神社・大杉の案内に従い、八幡宮の左に続く中国自然歩道に入る。

鷲原の大杉 快適な中国自然歩道

 少し荒れ加減の石段を登れば、すぐに鷲原の大杉と案内される杉の前に立つ。なんと大きな杉だろう。その存在感の大きさに、感動さえ覚える銘木である。大杉を通過し、明確なる自然歩道を進み、大杉を振り返る。少し距離を置かないと、この大杉の全体像を眺めることはできない。苔むした階段を少し登れば、坂の傾斜は緩やかとなり、快適な自然歩道歩きが続く。

中荒城跡へは左の尾根へ 急登は木をつかんで登る

中世山城の中荒城跡の風景(動画)

 自然林の下には木漏れ日が穏やかで、木の間越しに見える青野山は美しい山容をしている。やがて左側へ中荒城跡の案内が現れる。これは中世山城の跡なので、左上の尾根へ向かってみる。こちらの方面へ向かう明確な道は無いので、適当な場所から木をつかみながら一気に高度を上げる。尾根道へ出ると、左側に案内の建つ場所が見えるので向かってみる。

広く平坦な中荒城跡(説明は写真をクリツク) 自然歩道の先に中荒城入口の案内

 平坦な尾根の広場は、中荒城跡と案内されており、鎌倉幕府の時代の築城と説明されている。このまま尾根道を辿れば、効率的に中国自然歩道と合流するが、私はこのときに、中国自然歩道の全体図が分かっていなかったため、元来た道を引き返した。さて、そのまま津和野城方面へ向かうと、途中で中荒城跡入口の案内を過ごす。少しの植林帯を抜けると再び中荒城の遺構についての案内が建ち、やはり中荒城跡へ向かって尾根道が続いている。

南出丸南西の堀切の案内(写真をクリック) 中世山城の遺構の案内(写真をクリック)

 そのまま自然歩道を進むと、南中出丸と土塁跡の案内を過ごす。この先には竪堀と南出丸南西の堀切の案内があり、竪堀と堀切がどのようなものか、わかりやすく解説されている。明るい植林帯をそのまま北へ進むと、中世山城の遺構の案内があり、右へ向かうと曲輪、横堀、竪堀の遺構を眺めることができるそうだ。私はそのまま津和野城を目指すため、道なりに左の道を採る。

津和野城南門櫓 三の丸

三の丸から眺める風景(動画)

 南出丸を観察し、更に進むと前方が明るくなり、突然石垣の横に出た。この場所は南門櫓で津和野城の南の端に着いたようだ。石垣の中に入り広い三の丸に立つ。前方の石垣の二段上がとても広い三十間台で、東には青野山が美しい。南東には法師山、南には高岳山と名峰が続く。

青野山と法師山

 三の丸に置かれた四等三角点を確認、三の丸から眺める青野山は紅葉が進んでいることがわかる。少し進むと右へ津和野城跡への案内が立っている。入口の見事な紅葉を眺め、石垣の上(天守台)に立てば、西に馬立・台所・海老櫓を見下ろす。

天守台手前の紅葉

 南の石垣の上(三十間台)に立てば、これはすごい。正面に青野山、右に法師山、高岳山と雄大な展望が広がり、三の丸から少し高度が上がっただけで、遠くまで見晴らせるようだ。

山頂の三十間台 三十間台から眺める三の丸

津和野城跡の山頂から眺める展望(動画)

太鼓丸へ続く石段 眼下に太鼓谷稲成神社

 三十間台から北へ石段を下ると太鼓丸へ着く。展望の美しいのは当然だが、この地からは眼下に太鼓谷稲成神社を見下ろすことができる。太鼓丸を出発、天守台を経由し、西方面へ移動する。細長い馬立・台所・海老櫓を散策、周辺の紅葉を眺めながらの散策はとても贅沢である。

細長い馬立・台所・海老櫓と紅葉(説明は写真をクリック)

 石垣をバックにした美しい紅葉を眺めながら石段を下り、東門跡を通過する。歴史ある自然石の石段を下れば、史跡津和野城の案内と石碑の置かれた広場に着く。ここには津和野城大手登城道・入口まで630メートルの案内が置かれており、この道を下ると太鼓谷稲成神社の手前、津和野高等学校の手前に出る。

自然石の石段を下る 史跡津和野城の案内と石碑(説明は写真をクリツク)
未使用石垣石材 出丸分岐(リフトと自然歩道の分岐)

 平坦な広場の奥へ向かうと、未使用石垣石材と案内される大岩を見る。更に下れば万代(よろづよ)の池もあるそうだ。広場を通過し、綾部丸・リフト・自然歩道・稲成神社の案内に従い、更に北へ向かう。すぐに遊歩道は左右に分岐し、左はリフト方面、右は太鼓谷稲成神社方面である。ここでは正面に出丸の案内があるので登ってみる。出丸からは相変わらず青野山などの美しい展望が広がっている。

平坦な出丸 出丸から眺める法師山

 出丸を出発、ここでリフトの道と分かれ、稲成神社を目指して右の道を採る。少し進むと「綾部丸東方の中世山城の遺構」として、曲輪、竪堀、堀切の説明板が置かれている。山腹に作られた平坦な道を進むとリフトの下を通過する。東には樹林の間から青野山の展望が美しい。

リフトの下を潜る 石仏を過ごす

 自然歩道はこの先で折り返し、再びリフト前で左に折れて進む。植林帯の下を快適に進むと、左には石仏が鎮座されている。この先で更に一体の石仏を過ごせば、もう一つの目的地、太鼓谷稲成神社の前へ着く。

太鼓谷稲成神社へ続く道へ出る

 早速神社へ参拝し、神社の境内から青野山を眺める。今日一日青野山を眺め続けているが、どの角度から眺めても美しい山容である。神社を出発、坂を下り、津和野高校前から県道13号を南へ向かう。

太鼓谷稲成神社

太鼓谷稲成神社の風景

大鳥居を出発 リフト駅

 津和野高校の南の端付近から西方面に、津和野城跡の大手登山口を過ごす。南に高岳山を眺めながら進むと、西周(にし あまね)の旧宅の案内が立っているので立ち寄る。西周は日本近代哲学の父と呼ばれているそうだ。茅葺き屋根の古い民家を眺めて元の道へ戻る。

津和野城跡の大手登山口 西周旧宅

 太鼓谷稲成神社から鷲原八幡宮までの所要時間は35分。やがて鷲原八幡宮の流鏑馬の馬場へ到着、この馬場の全長は約270mで、吉見氏時代に鶴岡八幡宮の馬場を模して作られたそうだ。日本において唯一原形を留めている馬場である。

鷲原八幡宮の流鏑馬の馬場 鷲原八幡宮

鷲原八幡宮の紅葉

 流鏑馬の馬場を歩き、鷲原八幡宮へ登山の無事を報告。美しい紅葉を眺めながら駐車地へ。本日は一日満足の山歩きだった。帰路も笹山経由で吉賀町のラーメン店へ立ち寄る。前回は味噌ラーメンを食べているので今回は普通のラーメンを注文、登山後の食事はいつもおいしい。

八幡宮の紅葉 締めはラーメンで

鷲原八幡宮 鳥居の上には大杉が見える

境内の紅葉

鷲原の大杉

三の丸

天守台から眺める馬立・台所・海老櫓

青野山

法師山

高岳山

城跡の紅葉

太鼓谷稲成神社

太鼓谷稲成神社から眺める青野山

 前の山 青野山 青野河原登山口 を見る

 次の山 霜降岳・観音岳 中山観音コース を見る

歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 島根県津和野町 津和野城跡 登山口付近のMAP

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