トップに戻る 2024年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順
登山口は山陽自動車道横の登山口駐車場で、この地点に来るには国道2号の道の駅「ソレーネ周南」を起点として、道の駅から国道を西へわずかに進み、最初の信号を左折する。そのまま道なりに南へ進み、徳山西5のトンネルを潜る。トンネルを抜けた先の右側に昇仙峰の案内が立っているので案内に従い右折し、鋪装道をわずかに進むと正面に昇仙峰の登山口が現れ、この手前左側に数台程度の駐車場が用意されている。
鋪装された登山道の左には昇仙峰の案内が置かれているが、現在では文字がかすれて読みにくくなっていた。参考までに記載されている内容の読める当時の資料を掲示しておく。その先に昇仙峰への距離表示もあるが、こちらもかすれていた。
周囲にピンクのツツジを観賞しながら急登の鋪装道を登る。取り付きからなかなかきつい坂である。登山道は舗装されて明確で、要所に案内も掲示されているので迷う心配は無い。ただ坂の傾斜が急なだけなのでゆっくり高度を上げれば何も問題は無い。
この坂を登ればようやく鋪装道と別れる。周囲には自然林が続き、落ち葉の目立つ緩やかな傾斜の道を辿る。右側にはかつての平坦な耕作地跡を眺めることができる。そのまま道なりに進んでいると進路はわずかに右を向く。
木漏れ日を眺めながら少しずつ高度を上げていると左にコンクリート造りの遺構が現れた。更に道なりに進んでいると頂上まで200mの案内を過ごし、左に平坦な場所を見る。右に倒れかけた波印海軍省標石を見て、少し進むと左にコンクリート造りの建物を見る。これも戦時中に利用されていたものだろう。
高度を上げながら左にコンクリート造りの遺構を2つ過ごし、周囲に咲くツツジを眺める。この先の左には「憩いの館」と案内される大きなコンクリート施設が残っていた。入口の案内にはこの建物は戦時中指揮所跡として使用されたことが説明されていた。
元の道に戻り山頂を目指す。広い道を進み、進路が左(南)に変わるところにコンクリートの遺構が残って居た。円形遺構は聴音所跡の聴音機台座である。わずかに坂を登れば、左に三等三角点が置かれていた。
更に南へ向かうと石組みの施された道を進み、少し高いところが戸田照聴所の探照灯台座で、周囲は石組みにより支えられていた。山頂に戻り昼食後に山頂を出発、下山は南の四郎谷へ向かう。
戸田照聴所の左を通れば、足下に「四郎谷口下山道」の案内が置かれていた。自然林の下につけられた道を辿り、少しずつ高度を下げる。途中で波印海軍省標石を過ごし、木漏れ日の美しい道を下る。やがて周囲に岩が増えてくれば前方に瀬戸内海の展望が広がり、この瀬戸内海を向いた石祠に出会う。この下の鳥居には明治34年3月吉日と彫られていた。
これから先は眼下に瀬戸内海と四郎谷地区の展望を眺めながら下る。ピンクのツツジが美しく度々足が止まる。倒木を迂回しながら高度を下げていると、前方の大津島が目線の先になる。やがて大岩を過ごせば石鳥居を過ごす。この鳥居には文政8年3月吉日と彫られていた。
この石鳥居を過ごせば車道は間近で、自然林の下を進むとすぐに鋪装道に下り立った。少し鋪装道を進むと右に「しろだに棚田」の案内が立っていた。棚田を見下ろす展望地に立つと現在の棚田には耕作放棄地が目立っていた。日本の将来を予測するかのような棚田の風景だった。
峠で自然石の石仏を過ごし坂を下っていると眼下に棚田が現れた。峠を挟んで北側の棚田はとてもきれいに草刈りがされており、こちらはまだきれいな棚田が残っていた。足下に咲く花を眺めながら引き返し、高速道路下のトンネル手前で左折、わずかに坂を登れば登山口の駐車場まで引き返した。
昇仙峰登山は坂の傾斜が意外ときつく、登山時間は少ないが、足に負担のかかる山だった。南側と北側の登山道の状況からすると、南側の四郎谷地区から登る方が変化があり、鋪装道を辿る北側の登山道より楽しそうだ。
四郎谷地区と瀬戸内海
麓の四郎谷にある天野屋利兵衛生誕地の石碑
前の山 若山 を見る
次の山 大将陣 を見る