四王寺山・大城山(しおうじやま・おおぎやま)福岡県太宰府市

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2014年11月24日

太宰府政庁跡 →0:10→ 坂本八幡神社前 →0:10→ 登山道入口

 →0:30→ 坂本の大石垣 →0:05→  山頂尾根出合 →0:35→

 山頂 →0:35→ 鏡池 →0:15→ 岩屋城跡 →0:40→ 太宰府政庁跡

全歩行時間 3時間 0分

登山行程図(地図をクリックすると拡大)

 福岡県の山歩き、前回登り残した油山の登山を終えて最後に向かうのは太宰府政庁跡の先にそびえる四王寺山である。政庁跡へ着き、無料駐車場へ車を置いて登山を開始するが、この駐車場の利用時間は午後5時半まで。従って、遅い時間に出発する場合は、注意が必要である。

 現在の時刻から起算すると5時間以上の時間があるので余裕を持った登山をすることができそうだと、この時点では思っていた。さて、史蹟太宰府跡の石柱を眺めて政庁跡へ足を踏み入れる。

太宰府政庁跡にそびえる四王寺山 広い政庁跡に立つ紅葉

 すぐに古都「太宰府保存への道」と書かれた案内を眺めていると、太宰府政庁は平安時代末期(約900年前)にはその役割を終えていたことがわかった。南門跡の案内を眺めて広い敷地内に入る。遠く正面には四王寺山がそびえており、この山は900年以上前にこの地に置かれた太宰府政庁をずっと眺めていたことだろう。

都督府古址の石柱 後殿跡の礎石

 礎石跡を眺めながら奥へ向かうと、紅葉の盛りの木がぽつんと置かれてている。青空に映える紅葉を眺めて更に奥へ進み、最奥の都督府古址の石柱の先で後殿跡の礎石を眺める。この先の耕作地を右へ迂回し、日菅寺の前から西へ進路を採る。間もなく坂本八幡神社前に着くので「大野城跡2.5km」の案内に従い分岐を右へ採る。

日菅寺の前から西へ進路を採る 坂本八幡神社前を右折

 舗装道を道なりに北へ進み、旧小字「前」と書かれた石碑を過ごせば、この先の分岐には「四王寺山山頂2.2km」の案内が置かれていた。北へ続く舗装道を辿れば間違いなく登山口へ着くみたいなので、安心して歩き続ける。間もなく左に旧小字「花屋敷」の石柱を過ごせば、この先で左に水城跡・国分寺跡への分岐を過ごす。このあたりには史蹟が多いようだ。

進路を北へ採る 山頂へ2.2kmの案内

 最後の民家を過ごすと周囲には耕作地が続き、間もなく進路は右へ変わる。この先に丁字路が現れるので、九州自然歩道の案内に従い左へ進路を採る。黄色い車止めを抜けて、白いガードレールの目立つ舗装された道を進む。

分岐を左折、九州自然歩道に入る 右に池を見ながら進む

 東谷口川に整備された坂本砂防堰堤を過ごし、静かな溜池を眺めるが無風状態なので鏡のように空を映していた。間もなくコンクリート製の橋を渡れば、右に眺望の森・岩屋城跡などへの道が分岐するが、ここはそのまま直進する。

池は無風状態 右に眺望の森・岩屋城跡への道が分岐

 左右に植林帯を眺めながら進めば、左には九州電力「山家南福岡線35号」の鉄塔巡視路が続いているが、そのまま直進すると右に四王寺山山頂(1.3km)へ続く道が分岐する。長い舗装道歩きがようやく終了し、いよいよという感じで山道に入る。左には九州自然歩道の案内板が設置され、この道を採れば朝鮮式山城の大野城跡へ向かうことができると書かれている。この案内を眺めて山道に入る。

登山道入口(クリックで拡大) 修復された道

 整備された石段を登れば、最近整備された横木の階段が現れる。広く安全な道が続くと思っていたら、沢の近くで岩の崩落した跡があった。この地点は少し迂回すれば、再び整備された道に戻るので心配ない。更に沢沿いにつけられた道を辿れば前方に大石垣が現れた。

沢沿いを進む 坂本の大石垣

 こんな所になぜこんな石垣があるのだろうかと疑問を抱いたが、これが有名な坂本の大石垣とのことで納得した。現在この石垣は修復中で、石垣の失われた場所へ、石を積む作業が続けられている。立派な石垣をしっかり眺めて奥へ進む。

大規模な石垣を見学

 この先には大野城と石垣の案内があり、ここで知識を仕入れておく。大野城跡は白村江の戦(663)の後、大陸からの侵攻に備えて西日本各地に築かれた山城の一つで、百済の亡命高官2名の戦略的技術のもと築城されたことから、朝鮮式山城と呼ばれている。

 尾根から少し下った所に土塁と石塁を巡らせ城壁として、要所に城門と水門を配置していた。この場所は大石垣と呼ばれるように、石のみで築かれた長さ100mほどの城塁で、尾根の間にある二筋の谷をまたぎ構築されている。現状で谷部分の石垣の高さは7mほどあるそうだ。

遊歩道を進む 山頂へ向かって尾根を左折する

 案内板を過ごし、整備された横木の階段などを登って高度を上げれば、間もなく大野城跡の遊歩道へ出た。ここで直進方向は県民の森、左は四王寺山、右は増長天跡と案内されている。まずは四王寺山の山頂を目指すため、進路を左(西)へ採る。なお、これは後でわかったことだが、四王寺山は毘沙門天のわずか西に位置しており、山頂を目指す場合、毘沙門天への案内を目印にすると良い。

30番札所 わずかな展望

 緩やかな傾斜の遊歩道を散歩気分で進んでいると、左にロープの渡された道が分岐していた。これは広い道を採ると四王司33ヶ所石仏の30番札所を経由する道で、ロープの渡された道は山頂への近道である。大した距離の差は無いので30番札所へ参拝するが、期待した展望はなかった。

紅葉 創造の森展望台へ

 30番札所から下り、遊歩道を山頂へ向かって進むと、南に向かって市街地の展望が広がっている。遊歩に立つ案内に、大城山や毘沙門天への案内が現れ、山頂へ向かっていることを確認し安心する。この先に「創造の森展望台」の案内が現れたので向かってみた。

宝満山と三郡山 南の展望

 急な斜面につけられた横木の階段を辿ればすぐに展望台へ到着、東には宝満山と三郡山がとても近い。宝満山の右には昨日登った大根地山が見えており、このあたりは親近感あふれる山が多い。

 大根地山から右へ向かって砥上山、筑前町の城山と筑紫平野、更に右へ向かって天拝山、その奥には九千部山がそびえており、素晴らしい展望を眺めることができた。本日は少々霞気味だが、それでも感動を受けるほどの展望に充分満足した。

28番札所へ向かう 28番札所からの展望

 この先で遊歩道と合流し、少し進むと馬頭観音の祀られた28番札所へ着く。札所の前に置かれた展望台からは、眼下に太宰府市街、遠くに九千部山のなだらかな山容が続き、西には背振山も見えるはずなのだが本日はpm2.5に煙っている。

快適な遊歩道 展望広がる26番札所

 28番札所を出発し、再び遊歩道を辿る。27番札所や広目天礎石群、けいさしの井戸への分岐を過ごし、やがて展望広がる26番札所の前に着く。札所前からは南西から北西に掛けて展望が広がり、左から九千部山、背振山地、本日午前中に登った油山、更に福岡市街や能古島、志賀島等も一望である。少しずつ角度を変えながら各方面の展望を楽しめるのが、この大城山・四王寺山の特徴かも知れない。

紅葉 毘沙門天前の大鳥居

 札所を出発し、いよいよ山頂へ向かって進む。途中に紅葉を眺め、毘沙門天の案内に従い平坦な遊歩道を進むと、左に朱の鳥居が見えてきた。この先の分岐は左の道を採り、大鳥居の下を潜れば正面に毘沙門天が祀られている。まずは毘沙門天へ参拝し、その後左(西)へ進路を採れば、すぐに現れるピークが大城山・四王寺山の山頂である。

毘沙門天へ参拝 四王寺山(大城山)山頂

 二等三角点の置かれた平坦な山頂は、周囲を樹林に囲まれて全く展望がない。ただし、山頂部の苔むした風景はなかなか落ち着いた良い雰囲気である。石の多い山頂で小休止を取り下山を開始する。なお、毘沙門天の先には25番札所、玄徳稲荷社なども祀られており、それぞれに参拝をして遊歩道へ戻った。

25番札所 玄徳稲荷社

 登山時に使用した登山道の分岐まで引き返し、今度は礎石群の残る増長天跡へ向けて進路を西へ取る。現在工事中と思われる遊歩道を辿り、礎石跡へ着いたが、礎石跡は整備中で礎石跡にはブルーシートが掛けられていた。いずれ整備が終われば、見学できるだろう。

登山時の分岐まで引き返した 整備中の礎石群

 礎石群の手前で鏡池を見学して下山道に入る。鏡池から進路を南へ採り、水城の案内に従い進み、四王寺跡の石柱を眺めて九州自然歩道に入る。間もなく馬責めの案内を過ごせば、この先には水城の案内が置かれており、道に迷う心配は無い。

鏡池 水城の案内に従い進む

 すぐに馬責めと言われる平坦で細長い場所へ出る。この付近は馬を訓練する場所であったと案内され、岩屋城主高橋紹運の馬場があったと伝えられている。この高橋紹運は戦国の武将で、天生14年(1586)島津氏の猛攻の前に七百数十名の家来達と共に岩屋城で討ち死にしている。

馬責めの分岐を左折 舗装道を横切る(クリックで案内)

 さて、馬責めを過ごし南へ向かって樹林の下につけられた坂を下る。すぐに舗装路を横切り右折すれば、九州自然歩道が続いており、入口には岩屋城近道の案内が立っている。案内に従い再び樹林の下につけられた道を下る。すぐに丁字路が現れ、右は舗装路を横切り高橋紹運公の墓所、直進方向は岩屋城本丸跡である。ここでは順路の岩屋城跡へ向かって細い道を進む。

分岐を直進し岩屋城へ 岩屋城跡(クリックで石碑)

 すぐに広く平坦な本丸跡へ到着、石組みの上に置かれた石碑には「嗚呼壮烈岩屋城址」と刻まれている。岩屋城は16世紀半ば(戦国時代)宝満城の支城として豊後大友氏の武将高橋鑑種(あきたね)によって築かれた。同12年彼は主家大友宗麟(そうりん)に叛き城を追われ、代わって吉弘鎮理(後の名将高橋紹運)が城主となった。

宝満山と三郡山 大根地山など

 紹運は天正14年(1586)九州制覇を目指す島津5万の大群を迎え撃ち、激戦十余日、秀吉の援軍到着を待たず城兵763名と共に玉砕し落城した。まさに壮烈である。本丸跡からの展望は素晴らしいとしか表現のしようが無い。東にそびえる水瓶山の先に三郡山を始めとして右に宝満山、その奥に大根地山、更に砥石山、筑紫平野、手前に天拝山、奥に九千部山、霞みながらも背振山、油山、玄界灘と続く展望が広がっている。

福岡市街

 これは素晴らしい風景で、いつまで眺めていても見飽きることはない。しばらく展望を眺めていたが、駐車場の施錠時間が気になるので岩屋城を後にする。先ほどの分岐まで引き返し、坂を下って舗装路を右折、「高橋紹運公並びに勇士の墓」の案内に従い九州自然歩道へ入る。

岩屋城跡を見下ろす 舗装路を横切る
高橋紹運公並びに勇士の墓 紅葉

 周囲は紅葉に包まれ、美しい遊歩道を辿れば石垣に囲まれた墓所へ到着した。紅葉と墓所を眺め、手前から水城への案内に従い九州自然歩道を下る。整備された遊歩道歩きなので、何の心配も無く、坂を下り着いたところは市民の森である。ここでは左右に春の森と秋の森があり、今の季節に合わせて左の秋の道へ進路を採る。

墓所から公園へ下る(クリックで案内 舗装道を左折

 園内の紅葉を眺めながら市民の森を抜け、この先の丁字路は右に進路を採る。そのまま東へ向かって進み、突き当たりを左折する。そのまま分岐を直進すれば、太宰府政庁跡へ到着、一周回りの登山は無事終了した。

公園の紅葉 分岐を右折、次の分岐は左折(クリックで次の分岐)

 背後に広がる大城山を振り返れば、登山時に快晴だった空は曇っており、日の光に映えていた紅葉は、黄昏色に染まっていた。下山時刻は17時、施錠時間30分前に降り立つことができた。

政庁跡へ到着 礎石群

政庁跡から四王寺山

紅葉

坂本の大石垣

26番札所から眺める風景

岩屋城跡

宝満山・三郡山

福岡市街

 前の山 油山・荒平山 を見る

 次の山 笠置山 を見る

歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 福岡県太宰府市 大城山 登山口付近のMAP

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