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最初は柳井市の相浦から向かおうとしたが、8km先が通行止めというので上関側から向かったらこちら側は登山口の300m手前で通行止めだった。狭い道を工事しており、歩いても通過は難しいようなので写真だけを撮って引き返した。
反対側の相浦を経由して池の浦へ着き、池の浦トンネルを潜って上関町大津に入った。そのまま登山口へ向かっていると、室津側から25分で再び通行止めの看板に出会った。通行止めの看板を通過、そのまま奥へ向かうとなんとこちら側も工事中だった。工事現場は幅員が広かったので、歩いて通る許可を求めたら通して頂けることになった。
そこで、車を水道施設のような所の前に置いて登山を開始した。この地点の電柱には中光、阿月〜上関F914と書かれていた。工事中の現場は令和3年7月8日(水曜日)の大雨により土砂崩れが発生した場所で、ようやく基礎ができた所だった。御礼を述べて通らせて頂き、反対側の道路に着いた。
そのまま舗装道を進むと正面に千葉岳が見えてきた。左にカーブミラーを過ごすと朱の鳥居が現れ、千葉稲荷大明神の鳥居を潜る。すぐに階段状に続くコンクリート製の参道が始まり、手摺りを補助に急な坂を登る。
階段を登れば朱色の上宮前に着き、やはり世界平和を祈願した。周囲を眺めればこれはすごい。上関の長島、横島、八島、平郡島、上・下荷内島、周防大島には先日走破した馬の背、南畠山、頂海山と続く山脈などが続く。
しばらく展望を眺めた後、トイレの横からガイドに従い旧矢櫃神社へ向かおうかとも思ったが、土砂崩れの規模の大きさから、旧矢櫃神社は跡形もなくなっているような気がしたので、元来た道を引き返した。これは正解みたいで、地元の方も今回の土砂崩れで流されていると話されていた。
さて、登山口まで引き返し、車に乗り込み移動し、現在の矢櫃神社へ参拝した。更に上にある平家怩ヨ行くと、円形の石組みを眺めることができた。地元の方より、70年以上前には2組の平家怩ェあり、現在のものより高く2m程度あったこと、その後調査があり、中からほうきのようなものが出てきたと言うこともお聞きした。
帰りに池の浦トンネルの先で平家神社へ参拝。この神社には安徳天皇が祭られており、江戸時代の享保11年(1726年)、領主が社殿を建立、現在は池の浦神社と呼ばれている。
当時この一帯に農家が開墾に入って耕地にしたが、水は変色し、夜には合戦のようなすさまじい叫び声が聞こえ、五穀が全く実らなかった。
領主が神社を建立してからは叫び声は聞こえなくなり、五穀も実るようになったと言われている。このように源平合戦の地を訪ねるのも悪くない。
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