女神山(めがみやま)福島県川俣町

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2016年8月6日

登山口 →0:08→ 林道七ッ森線 →0:22→ ベンチの展望地

 →0:05→ 山頂 →0:25→ 登山口

全歩行時間 1時間 0分

登山行程図(地図をクリックすると拡大)

 福島県での登山、今回は小手姫伝説の残る川俣町の女神山へ向かう。福島市から国道114号を川俣町へ向かって南下する。やがて川俣町に入り、十二社の先で県道269号に入る。そのまま道なりに進んでいると、女神山の案内が立っており、案内に従い進むと月宮神社の前へ着く。

女神山への案内 月宮神社

 月宮神社を右に過ごし、わずかに進むと東屋の建つ月宮登山口へ着いた。北西には美しい山容の女神山がそびえており、これから登る山を確認して登る事ができる。東屋横の駐車場に車を置いて登山を開始、白い「名勝女神山」の案内を過ごす。

女神山(クリックで拡大) 女神山登山道入口

 広い作業道を進むと間もなく廃屋の前を通過する。やがて田んぼの横につけられた道を辿り、わずかに坂を登ると舗装道(林道七ッ森線)へ出た。舗装道を横切ったところに女神山の案内が置かれており、この地点から山頂まで25分と案内されていた。従って、最初からこの林道を通ってこの地点迄来れば、登山時間を短縮することができる。

廃屋前を通過 林道七ッ森線を横切る

 さて、女神山へ向けて登山道に入る。植林帯の下につけられた道は、朝日を浴びて明るく快適である。やがてイノシシのヌタ場を過ごし、少し進むと堀切登山口から続く道と合流、この分岐を右折する。更に登山を続けていると、今度は椚平登山口からの道が合流する。この山にはいくつもの登山道が続いている。

植林帯を進む 堀切登山口から続く道に入る
樹間越しの展望 ベンチの置かれた休憩所

 樹間越しに広がる展望を眺めた後、登山を再開する。この先から坂の傾斜が緩み、ベンチの置かれた休憩所へ着く。休憩所は西方面を見晴らす展望地になっており、安達太良山や吾妻山などが一望である。しばらく展望を眺めて小休止を取り、最後の坂へ向かう。

休憩所から眺める展望 最後の坂道

岩に祀られた祠とご神体の岩(クリックで拡大)

 自然林の下をゆっくり進むと、岩に祀られた祠へ着き、更に進むと女神山のご神体の岩へ着いた。この先の平坦地が女神山山頂で、大きな一等三角点が置かれている。山頂からは西へ展望が開け、安達太良山、吾妻山などを眺めることができる。

一等三角点の置かれた女神山山頂と 山頂から眺める展望(クリックで拡大)

 今からおよそ1400年前(飛鳥時代の頃) 、この地区が陸奥の国小手郷と呼ばれていた頃に生まれた、養蚕と絹織物の伝承にまつわる小手姫の伝説に思いを馳せる。

 聖徳太子の父の用明天皇が崩御した後、蘇我馬子は物部氏を倒し、用明天皇の弟である崇峻天皇を即位させ、自分の思い通りの政治を目指した。ところが崇峻天皇は蘇我氏の意のままには動かなかったので、蘇我氏は崇峻天皇を暗殺、その妃である小手姫を大和から追放した。

 大和を追われた小手姫は、父と娘と共に、奥州の果てに流された息子・蜂子皇子(はちこのみこ)を尋ね、女神山の麓の川俣へ着いた。豊かな水をたたえて流れる阿武隈川と桑の葉の茂る風景が故郷の大和に似ていることから小手姫はこの地にとどまった。

 小手姫はこの地が養蚕に適していることを村人へ伝え、姫より養蚕と機織りの技術を伝授された村では養蚕が盛んに行われた。その後、小手姫は息子の蜂子皇子に会うことができないことを嘆き、大清水の池に身を投げて亡くなった。

 村人は大いに嘆き悲しみ、亡骸を小手郷の見渡せる高台に埋葬し、魂を鎮めるため、池の畔に祠を建て、小手姫を祀った。なお、蜂子皇子は山形県鶴岡市の出羽三山(羽黒山、湯殿山、月山)の開祖と伝えられている。

女神山

女神山山頂

ご神体の岩

山頂から眺める風景

 前の山 鳥海山 を見る

 次の山 霊山 を見る

歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 福島県川俣町 女神山  登山口付近のMAP

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