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案内によれば熊野城は尼子十旗の一つとして富田城防衛の重要拠点であり、城主は熊野氏。永禄6年(1563)9月、白鹿城を包囲していた毛利元就は、後方から牽制する熊野久忠を討つため熊野城を攻撃したが撃退された。元亀元年(1570)布部合戦の後、牛尾城の落城を見て開城した。かわって富田城の城督だった天野隆重が入城とある。
さて、公園の駐車場に車を置いて登山をしようとしたが、地元の人が来てもっと奥に進むと登山口があり、その横に車を置いていったら良いと言われたので向かうと、確かに農機具置き場の横に駐車スペースがあった。言われるままに車を置いていたら、先ほどの方が来て、この場所で良いと言われるので、ご好意に甘えて最短距離からの登山を開始することができた。
駐車地から北西にそびえているのは以前登ったことのある八雲山で、登山途中に夫婦岩を眺めたことが懐かしい。熊野城跡登山口の案内を確認して山道に入る。道なりに進んでいると左上に分岐する道に出会うが登山道は直進である。ここで熊野城跡登山道の案内を確認しておく。
この案内の横には鉄塔巡視路の標柱も置かれていたため、この道は巡視路としても利用されていることが分かった。この先で案内標識と巡視路標柱を過ごし竹林の中を進む。やがて頂上まで200mの案内を過ごせば進路は南に変わり、急な坂を登り始める。左に大岩を過ごし更に高度を上げれば頂上まで100mの案内を通過。頭上を覆っていた木々が無くなり 周囲が明るくなる。
すぐに平坦な八幡成に到着、この場所にはかつて八幡宮があったとされている。この場所からは背後に八雲山が美しい山容を見せている。山頂に向かってわずかな坂を登れば広く平坦な要害山の山頂に着いた。山頂には先着の登山者がおり、登山ノートの記録の最中だった。山頂には三本の木が立っており眼下を眺めれば熊野の街並みや北東には星上山、南東に天狗山等を眺めることができた。
山頂から南には阿弥陀堂跡、井戸の跡と案内してあったので下りてみた。、急な坂を下ればすぐに阿弥陀堂跡に着き、もう少し下れば井戸の跡も確認することができた。当日は天候も良く要害山から眺める展望も最高だった。山頂に戻れば先度までいた登山者は居なくなり、広い山頂を独り占め状態である。
登山ノートに記帳した後、下山を開始した。整備された登山道はとても歩きやすく、すぐに駐車地まで引き返した。その後は熊野大社に参拝し、ゆうあい熊野館に行き八雲温泉を満喫した。
星上山・京羅木山
熊野大社
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