熊野要害山(くまのようがいさん)島根県松江市

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2023年4月9日
登山口 →0:28→ 山頂 →0:17→ 登山口
全歩行時間 0時間45分
登山行程図(地図をクリックすると拡大)

 出雲市斐川町阿宮にそびえる城平山の登山口の阿宮第一集会所を出発し、本日最後に登る松江市八雲町熊野にそびえる熊野要害山へ向かう。登山口へ向かう起点を出雲国一之宮熊野大社とすれば、大社前の県道53号大東東出雲線を2.5km南下し右側に遊具のある公園が見えてくればこの場所が須谷地区農山村広場で、熊野城跡の案内が置かれている。
須谷地区農山村広場の上にそびえる熊野要害山 須谷地区農山村広場の手前に立つ登山口案内

 案内によれば熊野城は尼子十旗の一つとして富田城防衛の重要拠点であり、城主は熊野氏。永禄6年(1563)9月、白鹿城を包囲していた毛利元就は、後方から牽制する熊野久忠を討つため熊野城を攻撃したが撃退された。元亀元年(1570)布部合戦の後、牛尾城の落城を見て開城した。かわって富田城の城督だった天野隆重が入城とある。

登山道入口の案内 駐車地の先にそびえる八雲山

 さて、公園の駐車場に車を置いて登山をしようとしたが、地元の人が来てもっと奥に進むと登山口があり、その横に車を置いていったら良いと言われたので向かうと、確かに農機具置き場の横に駐車スペースがあった。言われるままに車を置いていたら、先ほどの方が来て、この場所で良いと言われるので、ご好意に甘えて最短距離からの登山を開始することができた。

登山道入口 登山道に入り駐車地を振り返る
分岐は直進 頂上まで600m

 駐車地から北西にそびえているのは以前登ったことのある八雲山で、登山途中に夫婦岩を眺めたことが懐かしい。熊野城跡登山口の案内を確認して山道に入る。道なりに進んでいると左上に分岐する道に出会うが登山道は直進である。ここで熊野城跡登山道の案内を確認しておく。

倒竹は撤去されて歩きやすくなっている 整備された登山道
頂上まで400m 要所に案内が置かれている
 すぐ先で頂上まで600mの案内を通過、この先で竹林に入るが登山道の上に倒れた竹が一つも無かった。更に歩行部分がとてもきれいになっており、これはこの登山道を管理する方がしっかり整備されていることに驚いた。登山道はとても歩きやすく緩やかな傾斜の道を進んでいると頂上まで400mの案内に着いた。ここで登山道を整備されている方と出会い色々な苦労話を聞かせて頂いた。
巡視路標柱 頂上まで200m
左に大岩を過ごす 頂上まで100m

 この案内の横には鉄塔巡視路の標柱も置かれていたため、この道は巡視路としても利用されていることが分かった。この先で案内標識と巡視路標柱を過ごし竹林の中を進む。やがて頂上まで200mの案内を過ごせば進路は南に変わり、急な坂を登り始める。左に大岩を過ごし更に高度を上げれば頂上まで100mの案内を通過。頭上を覆っていた木々が無くなり 周囲が明るくなる。

八幡宮があったとされる八幡成 八雲山
広く平坦な山頂

 すぐに平坦な八幡成に到着、この場所にはかつて八幡宮があったとされている。この場所からは背後に八雲山が美しい山容を見せている。山頂に向かってわずかな坂を登れば広く平坦な要害山の山頂に着いた。山頂には先着の登山者がおり、登山ノートの記録の最中だった。山頂には三本の木が立っており眼下を眺めれば熊野の街並みや北東には星上山、南東に天狗山等を眺めることができた。

星上山や京羅木山などの展望が広がる山頂
阿弥陀堂・井戸などの跡が残っている 井戸跡付近から見上げる山頂

 山頂から南には阿弥陀堂跡、井戸の跡と案内してあったので下りてみた。、急な坂を下ればすぐに阿弥陀堂跡に着き、もう少し下れば井戸の跡も確認することができた。当日は天候も良く要害山から眺める展望も最高だった。山頂に戻れば先度までいた登山者は居なくなり、広い山頂を独り占め状態である。

阿弥陀が成(阿弥陀堂の跡) 井戸の跡

 登山ノートに記帳した後、下山を開始した。整備された登山道はとても歩きやすく、すぐに駐車地まで引き返した。その後は熊野大社に参拝し、ゆうあい熊野館に行き八雲温泉を満喫した。

熊野大社へ参拝 八雲温泉熊野館
熊野要害山
八雲山
平坦な山頂
山頂に立つ巨木

星上山・京羅木山

熊野大社

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歩いた足跡  
登山口周辺の地図はこちら 島根県松江市 熊野要害山 登山口付近のMAP
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