可部冠山(かべかんむりやま) 広島県広島市

2007年 2月25日

可部冠山

参考コースタイム

可部峠の御神水 →0:25→ 姫ヶ原官行造林地標識 →0:15→ 維新の謎掲示板

 →0:05→ 可部峠(冠山山頂への標識) →0:10→ 冠山山頂

 →0:05→ 可部峠 →0:05→ 維新の謎掲示板

 →0:15→ 姫ヶ原官行造林地標識 →0:25→ 可部峠の御神水

全歩行時間 1時間45分

 龍頭山にて300山の記念登山が無事終了。旧豊平町のどんぐり村を出発、時間も充分あるので次の山に向かうことにした。この付近から近いところと言えば、天狗シデで有名な熊城山または可部冠山である。大星さんより、名水が近くにあるという情報に飛びつき、可部冠山に向かうことにした。

 県道40号から県道314号を走り、本地集落にて国道261号に合流、国道に入る三叉路を右折し、少し進むと道端に「八王子よみがえりの水」の幟がたくさん立っている。これが可部冠山の登山口の名水と思い込んで水汲み場所に向かったが、登山口らしきものはなかった。

八王子よみがえりの水 よみがえりの水風呂

 但し、有名な名水はしっかりと頂く事にした。たくさんの人々がこの御神水を汲むために並んでおり、美味しい水を頂けることに感謝した。欲張りな私は手持ちのペットボトルやリュックの水筒に合わせて4.5リッターの御神水を頂き、控えめな大星さんは約1リッターの名水を汲み、水汲み場から出発、可部冠山の登山口を探しに国道に戻った。

 ガイドに本依れば丸押バス停を目印に冠山の西方面から上るルートがあるそうなのでバス停を探していると、ようやく目指す丸押バス停を見つけることが出来た。国道の上に渡された橋を渡り丸押集落に入り、それとおぼしき場所に向かうのだが、別荘地らしきところは廃屋に近くなっており、道も怪しくなってきたので引き返した。

 近所の方に登山口を聞くと、先程の道からでも登れないことはないが、多分獣道のようになっているとのこと。国道のもう少し手前(北方面)に「可部峠の御神水」の標識があり、名水に向かう道を通ると良い道が続いていると教えて頂いた。

名水 「可部峠の御神水」の標識に従い右折

 国道に戻り、少し北方面に向かうと右手に「名水可部峠の御神水」800mの標識があり、この標識に従って右折する。更に中国自動車道のガード下をくぐって進むと、その先には駐車場の整備された可部峠の御神水を見つけることが出来た。この付近は伊勢坊谷の集落であり、水汲み場では既に何人かの人が水を汲んでいた。

可部峠の御神水に到着 伊勢神宮の由来

 広い駐車場の一角に車を置き、可部峠の御神水を少し頂き、可部冠山へ向かって出発することにした。舗装道はすぐに未舗装林道となり、林道は所々大きく崩壊している場所があるのでとても車で進むことは出来ない。2年程度前の大水害の爪痕がまだ生々しく残っているようだ。

可部冠山へ出発 崩壊している場所を過ごす

 道の一部を除けば広くよく踏まれた道であり、急な斜面もなく快適に林道歩きを続ける。姫ヶ原官行造林地の標識を見てこの付近が姫ヶ原という地名であることを認識する。周囲は檜林に覆われ、植林帯の中を進んでいるようだ。道の左右にはクマザサが繁っており、奥深い森の中を歩いていることを実感してとても嬉しくなる。但し、周囲にはこれといった目印が無く、自分のいる位置がわからないまま距離と高度だけは稼いでいるようだ。

石の目立つ道を進む 最初の姫ヶ原官行造林地の標識

 真っ直ぐ平坦な道に入ると、右手に再び姫ヶ原官行造林地の標識を過ごす。登山開始からは既に25分が経過、この付近の道は苔むしていてとても美しい光景だ。更に快適な林道を疲れもなく進んで行く。

左右にクマザサの茂る道 再び姫ヶ原官行造林地標識

 一人ではとても寂しくて不安になりそうな道だが、こんな時こそ同行者が居ると心強いものだ。左右にクマザサが目立ち始めると目の前に大きな掲示板が見えてきた。近づいてみると「維新の謎」の内容が書かれていた。可部冠山への道がこの道で間違いないという確信を持った瞬間である。

維新の謎の掲示板

 道は大きく左に向き、少し進むとそこが可部峠、目印の長助茶屋跡に到着した。説明板を見て納得、いままで歩いてきた道は石州街道であり、かつて可部と本地地区を結ぶ主要道路であったことがわかった。

石州街道の説明板の立つ長助茶屋後

 この道、石州街道は浜田藩主の参勤交代の官道として整備され、道の幅員7尺(2.1m)、道中に一里塚を設けて松を植える等されていたらしい。この石州街道は天下の公道であると共に民衆の生活道として、山県東部、石州藩内の大衆が牛馬、荷物とともに往来し絶え間が無かったそうだ(一日300人は数えたと故老の言)。

 先程眺めた維新の謎に登場した、明治4年(1871)武一騒動のとき、郡内の大衆がここで勢揃いをし、竹槍を手に広島城下めがけて一斉に南原峡を下ったところであり、また、その後一揆の鎮圧隊の政府軍1000名が蔵迫に泊地を求めて千代田入りしたのもこの峠である。現在の国道261号が開通(明治21年)して鈴張経由となり、大正8年乗合バスが通るようになって、茶屋も廃業の止むなきに至り、大正14年可部峠はその使命を終えたそうだ。(長助茶屋説明板より)

 しばらく説明板を眺めた後、石州街道を踏みしめて更に先を目指すことにした。長助茶屋を過ぎると苔むした植林帯の下を進むことになり、左手に苔むした腰掛け岩をみる。この岩は歴史を感じさせる岩であり、いったい何千人、何万人の旅人がこの岩に腰掛けたことだろうと過去に思いを巡らせる。

苔むした植林帯 腰掛けの岩

 と、思う間もなく前方に冠山の標識を見る。この付近は冠山官行造林地となり、先程の姫ヶ原地区から場所が移っていることに気がつく。ここから右に向かうと可部冠山山頂、真っ直ぐ進むと石州街道を通り可部の町に向かうことになり、左手には大掛山まで100分の行程である。大掛山へは笹の道が続いており、真新しい赤いテープがしっかりと貼られているが、本日は冠山に向かって進むことにする。

可部冠山への入口 大掛山へ100分入口

 この先は急な斜面が待っており、少し登ると急に周囲が開けてきた。いままで樹林帯の中を歩いていため、周囲が開けると木の間越しでもとても嬉しくなる。更に急な斜面を進むことになるが、少し登るたびに空が開けてくるので全く疲労感無く進むことができる。

可部冠山へ向かう岩の道 山頂へは大きな岩が立ちふさがる

 間もなく目の前に大きな岩が立ちふさがる。この岩を越えればもう山頂だ。岩を両手で掴んで一気に登って行くと、岩の目立つ可部冠山の山頂に到着することができた。

可部冠山山頂に到着 山頂にて大星さんと記念写真

 山頂の大きな岩の上に立ち、周囲の山々を見回す。岩の上からは素晴らしい展望が広がっている。南方面に向かうとまた大きな岩が待っていた。この岩の上にも立ち、南方面を眺めていると遠くに見慣れた風景が・・・安芸小富士、似島だ。その先には江田島・古鷹山。だんだん目が慣れてきて周囲の山がはっきり見えてきた。江田島左手にはアンテナ山の絵下山、手前南東方面には特徴のある白木山、更に左の手前には備前坊山が素晴らしい山容を見せている。

手前に備前坊山・奥に白木山

正面に可部の市街と右に堂床山・正面先には似島、江田島が霞んでいる

 間もなく大星さんも山頂に到着、先日購入したガスバーナーを使ってよみがえりの御神水でお湯を沸かし、美味しいコーヒーを頂くことにした。その間にも周囲の山々を眺める。先程登った龍頭山は、正面の海上山と重なっているようだが肩のところからわずかに山頂が見えている。

海見山 大掛山

 可部冠山から南西方面に美しいのは堂床山、北には先程登山口を確認した大掛山の山頂が顔を出している。この山々の美しさをしばらく忘れることはないだろう。大星さんに作って頂いたコーヒーを飲みながらの周囲の山座同定も一段落、そろそろ可部冠山を下りることにする。

 今回初登場のバーナーに代わり、近く引退するのは長く使ってきたリュック。16年9月に大阪で買い、その後150回、173座の山歩きを共にしたリュツクは痛みが激しくなっており、昨年7月7日七夕の日に購入しておいた新しいリュックと次回から交代することになる。

今回初登場のバーナー 現役引退予定のリュック

 思い出のたくさん詰まったリュックを背負い、いよいよ下山を開始することにした。急な岩の斜面を慎重に下りて行き、すぐに石州街道に到着。この先は緩やかな街道をゆっくりと下りて行く。登る時には不安だったこの道も、歴史の道の石州街道であることを知り、沢山の旅人が通ったであろう往事のにぎわいを感じながら下りて行くのはとても嬉しい気分である。

 大星さんととりとめのない話をしながら歩いていると、あっという間に可部峠の御神水まで到着、石州街道を辿る可部冠山への登山が終了した。

 山頂にて使ったよみがえりの水の代わりに可部峠の御神水を汲む最中、近所の人にこの御神水の水源について聞くと、この先に伊勢神社があり、神社の付近から御神水がわき出しているとのお話を伺い、早速神社に向かうことにした。参道を進んで行くと伊勢神社に到着、神社の入口で湧きだしている御神水を頂き神社に参拝をした。

伊勢神宮と祠に参拝

 周囲を見ると新しい墓が立てられてあり、このお墓は第52代の由緒ある家系のものであった。この名前どこかで見たことがあるかと思ったらこの地区の名前の伊勢坊谷の起源のような名前である。もう一度名前の由来を思い出すと、先程参拝した伊勢神社にその由来が書かれていたことを思い出した。その伊勢神宮の由来とは次の通りである。

 人皇第十一代重任天皇の第一皇子誉津別命(ほんじわきのみこと)が二十才におなりになっても言葉が話せない為、出雲大社へ参拝されて願をおかけになった。其の時、本地に品遅部(ほんじべ)を設けられて連絡の拠点とされた。伊勢神宮へ仕へる神官が命のお供をして出雲へ参り、その帰途伊勢坊の姓を賜り神宮の分霊をお祭りして此の地に居残ったのが伊勢坊の始まりであると言伝へられております。 本地村史より

 昔は賑わった石州街道のこの集落に、今は過疎の波が押し寄せているようだ。改装されて新しくなった伊勢神宮に再度参拝し、伊勢坊谷集落を出発した。

伊勢神社

可部冠山山頂

可部の町並

備前坊山

海見山と龍頭山

可部峠哀歌(一部)

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歩いた足跡  

登山口周辺の地図はこちら 広島県広島市安佐北区 可部冠山 登山口付近のMAP

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