トップに戻る 2023年に登った山リストへ戻る 山名アイウエオ順
姉山城は平安・鎌倉時代にこの地を治めていた朝山氏の居城で検非違使としてこの地に下向した大伴政持を祖としているそうだ。案内板を眺めて石碑の横から奥へ進む。夏みかんの木の右側に続く道に入り、左に民家を見ながら奥へ進む。
正面に階段が現れ、竹の目立つ場所に入る。右に大岩を眺めながら高度を上げれば、倒木が現れるのでこれを跨いで越える。倒木さえ無ければ整備された遊歩道という感じで、真っ直ぐ続く階段を辿り高度を上げる。
この先で進路は左に変わるが、その起点にはベンチが置かれていた。再び階段へ取り付きわずかに登れば、今度は左にベンチが置かれていた。進路は右上へ向かって続き、いかにも遊歩道という感じの道を進むと、左に展望が開けてきた。見えているのは弥山や出雲ドーム、日本海で明るい展望が広がっているのが嬉しい。
そのまま水平道を道なりに進むと、進路は右へ向き、折り返すように右上へ登れば広く平坦な姉山城址の山頂に到着した。山頂からは樹間越しに弥山が見えているがいずれの方向の展望も樹間越しとなっている。
山頂には郭の案内図があったようだが、今はかすれて見ることはできない。案内によればこの城は山頂を削平して造られた古城で、築城時期は不明とのこと。朝山氏は主家尼子氏のため毛利と争うも、永禄9年(1566) 尼子の月山富田城落城により毛利氏派遣の代官大伴惟元によって支配を受けることになり、これより朝山氏は朝山八幡宮の祠宮専務となったそうだ。
広い山頂はとても明るく、途中からの展望も良しで、満足の登山をすることができた。下山は元来た道を引き返して登山口まで帰った。下山後に朝山神社を訪ねるため移動したが、当日は神社への道は通行止めで参拝することはできなかった。
南から眺める姉山城址
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