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平成20年11月6日

泉岳寺の赤穂義士墓所を訪ねて

 港区高輪の泉岳寺へ赤穂義士四十七士の墓所を訪ねて向かいました。都営地下鉄浅草線の泉岳寺駅で下車、A2出口より泉岳寺方面に向かうと四十七義士の石碑が立っていました。

四十七義士の石碑

 もう少し進むと泉岳寺中門が見えてきます。左手には高輪中学校・高等学校の標識も立ち、中門は学校の校門になっているようにも見えました。

中門

大石内蔵助の像

 中門を進むと右手には大石内蔵助の像が立ち、左手には立派な山門が見えてきました。参拝順路に従って山門の右手を進み、泉岳寺の本堂に参拝。

山門

案内板

本堂に参拝

 本堂から山門を振り返ると、立派な松が山門を囲んでおり、とても都会とは思えない静かな境内です。

山門と松

 境内を抜けて史跡赤穂義士墓所へ向かいます。右手には血染めの石と梅を眺めます。「田村邸内浅野公自刃の場に有りしものなり」と掲示され、浅野内匠頭が切腹をした場所、田村右京太夫邸より移設されたそうです。

墓所へ

血染めの石と梅

 すぐ少し先には「首洗い井戸」を見ることができます。説明板には、「吉良上野介義央の首をこの井戸にて洗い、以って主君の墓前に供う」と掲示されています。また、石柵には「川上音次郎建之」と掘られていました。

首洗い井戸

 首洗い井戸の先には義商天野屋利兵衛浮図(ふと)の石碑が立っていました。この天野屋利兵衛は、赤穂浪士が討ち入りに必要な武器一式を取り揃えたとされ、「天野屋利兵衛は男でござる」と啖呵を切った話は有名です。

義商天野屋利兵衛浮図(ふと)の石碑

 いよいよ墓所へと向かいます。港区文化財「浅野長矩及び赤穂義士墓所門」は、もとは赤穂藩浅野家の鉄砲州上屋敷(現中央区)の裏門として建築され、大石良雄が屋敷を訪れる際によく出入りした門と言われています。明治初年に取り払われる際、この場所に移築されたそうです。

浅野長矩及び赤穂義士墓所門

 墓所に入り、お線香を購入し、浅野長矩公・長矩公婦人、大石良雄・大石主悦を始めとした有名な赤穂浪士の墓所にお線香をお供えして行きました。

お線香を購入

墓所配置図

浅野長矩公墓所

大石良雄墓所

大石主悦の墓所

左から菅谷半之丞・中村勘助・堀部安兵衛の墓所

墓所

平日でも観光客が多い

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