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岩国市美和町 真教寺

平成20年9月21日

 芥川龍之介の実父、新原敏三氏は岩国市美和町の出身であり、この真教寺は龍之介父系の菩提寺で、岩国市の史跡に指定されています。
 境内の一角には芥川龍之介の真筆による作品と書名の副碑が建立されており、側に掲示されている「芥川文学碑と碑文の由来」には日本最高の芥川文学碑と説明されています。

本是山中人(もとこれさんちゅうのひと)石碑

 「芥川文学碑」と碑文の由来

 芥川龍之介の実父、新原敏三は当地の出身である。ここ真教寺は龍之介父系の菩提寺で、史跡に指定されている。明治の始め敏三は上京しやがて元幕臣芥川家の三女フクと結婚し三子を得た。
 末子新原龍之介は幼い頃母死亡の為芥川家で養育され、十三才の時芥川家の養子となり芥川龍之介となった。成長し東大卒業後海軍機関学校教官となり、航海見学で由宇まで来航し帰途錦帯橋見学の為岩国へ来ている。橋上から山々を望見し岩国の奥と聞いていた父の故郷を心中に銘記したと推察される。
 航海見学の為延期されていた「羅生門出版記念会」が龍之介帰京の直後日本橋の「鴻の巣」で開催された。これは錦帯橋見学の僅か二日か三日後の事である。当日依頼され揮毫したのが「本是山中人」で、龍之介が岩国での記憶を深く心に秘めて書いた望郷の一文である。文意は誰にも解明されず謎とされていた。
 真意は龍之介の没後約三十年頃沖本芥川番記者の研究と、佐藤春夫らの判断で文の「山中」は敏三の故郷「山口県の元生見村」であると断定された。
 昭和六十二年に建立の当碑は、龍之介の深い思いの本碑の碑文と遺族の願い。真筆による作品と署名の副碑・全国唯一の二基の所在など、他に類を見ない価値の高さは抜群で、正に日本最高の「芥川文学碑」と言える。

岩国市教育委員会
芥川碑顕彰会有志

芥川龍之介の真筆

副碑文の説明は → 

 

芥川龍之介 侏儒の言葉 人生より

 人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。
重大に扱わなければ危険である。

 人生は落丁の多い書物に似ている。
一部を成すとは称し難い。しかし兎に角一部を成している。

 

真教寺本堂

鐘楼堂

真教寺の先で盃状穴を見学、大岩に不思議な穴が空いています

盃状穴

盃状穴の説明板

 

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